さて、「今週のイラン vs イスラエル/アメリカ連合」です。
イランはテルアビブに十数発のミサイルを着弾させることに成功し、
カタールのアメリカ軍拠点にも形ばかりに撃ち込んだので、
「我が国の大勝利じゃ ♪♪♪♪♪」と国内で宣伝しているようですが、
アメリカ側には事前に「どこそこに打つのでよろぴくね!」と
あらかじめ電話でお話をつけていたとのこと WWWWWW
制空権は完全に奪われ、
加えて自国の軍事指導者や核科学者あわせて数十人規模で爆殺され、
核施設には 14 発の GBU57 をぶち込まれ、
多くの戦闘機~ミサイル発射施設~その他を破壊され、
民間人だけでも数百人の死者を出しているにもかかわらず、
まことに能天気な「勝利宣言」ではあります WWWWWWWWWWW
つまり、イランが 根性ナシ であるのは明らかです。
地図を見るとナカナカ図体もデカい国ですし、
歴史を見ても、少なくとも古代は堂々とした国ではあったのですが、
実のところは、少なくとも現時点では、「張子の虎」にしか見えませぬ・・・
今回の「12 日間戦争」の前からすでに
イスラエルとアメリカに要人を殺害されてきたイランですが、
とにかく何もできない・・・
今になってモサドの協力者らをしょっ引いて処刑しているようですが、
ずっと緊張関係にある両国ですから、
もっと前から分かっていたんじゃないの?と言いたくなりますよね WWW
例のヒズボラのポケベル事件なんかがあったにもかかわらず、
何の対策もしてこなかった、ということですからね!
何もできないならば、
大人しく自国の経済的発展と地域の安定維持に邁進していればいいのに、
そうしない・・・
あれだけ油をもっているのに有効に活用しない、出来ない・・・
日本人だったら「ホントに MOTTAINAI!」と思いますよね WWW
油がたくさんあって有効に活用しない、出来ないもう一つの国家には
南米のベネズエラなんてのもありますが、
似た者同士でしょうかね?
ベネズエラは宗教とは無縁ですが、
チャペス時代の社会主義が未だに「心の足かせ」となっているようです。
イランにおいては、ホメイニ氏の亡霊が「心の足かせ」なのでしょうが、
自分の手下を使ってチマチマとイスラエルを挑発するのに余念がない・・・。
これではイスラエルもたまったものではないでしょう。
そもそも論として、
今回のガザ地区の悲惨さをもたらしたのは手下のハマスの連中です!
これを忘れてはなりませぬ!
もちろんそれとガザの現状とは別物ですが、
イスラエルとしては「堪忍袋の緒が切れた」ということで、
ここは徹底的にイランを叩いておきたいところでしょう。
一応、トランプが停止を「命じて」ますが、
来月初旬にも行われるであろうイラン/アメリカの協議が破綻すれば
再びイスラエルによる攻撃が始まるのは明らかで、
イスラエルのカッツ国防相は、
すでに戦闘再開に向けた指示を出しているようです。
で、イランの情けなさというか、いったい何をやりたいのか?と言おうか、
どうにもあのボヤっとした国が分からないセンセですが、
そもそも論として、
なぜあの国がアメリカとイスラエルを目の敵にしているのか、
少し調べましたので、お話しようと思います。
古代の中東に関しては「今月のウクライナ-33」辺りから、
古代イランに関しては、「今月のウクライナ-133~143」で
ササン朝を中心に述べてますのでご一読を!
その後「渤海」で止まっているのでホント、申し訳ないのですが・・・
ササン朝がアラブ・イスラムに滅ぼされたあとは
栄華を誇ったペルシャ文化は雲散霧消し、
代わってイラン人によるイスラム文化が花開くこととなります。
その後はトルコ系の王朝が入れ代わり立ち代わりこの地を支配することとなり、
13 世紀にはモンゴル、その後はチムールの支配下に置かれます。
16 世紀のサファヴィー朝を経て18~19 世紀にはガジャール朝が起ちますが、
いずれもトルコ系王朝です。
で、このイラン人の間に根強い反アメリカ感情ですが、
これの下敷きには、
19 世紀から 20 世紀初頭にかけてのアジアの動きに大きな影響を与えた
イギリス vs ロシアの対立、いわゆる「グレート・ゲーム」が、
多かれ少なかれ関与しているようです。
すなわち、伝統的に南下政策をとるロシア~ソ連に対抗して、
当時、インド~パキスタン~ビルマを植民地化し、
さらには中国にも触手を伸ばしていたイギリスは、
ロシアの南下政策を妨害するために
イラン~アフガンを中心とする中東~中央アジアを自らの影響下に置くべく、
策動を試みます。
結果、この当時のイランは、
ロシアの勢力圏とイギリスの勢力圏とに分割されてしまいます。
が、第一次大戦後、
イギリスは内戦に揺れるソ連の機に乗じてイランを保護国化!
これに怒ったイランの人々がイラン・コサック軍のレザー・ハーン大佐を立て、
彼によって 1921 年に起こされたクーデターによって、
イギリス、ソ連ともにイランから撤退することとなります。
で、1925 年、レザー・ハーンによって最終的にガジャール朝が倒され、
パフラヴィー朝が成立することとなりました。
パフラヴィー朝初代のレザー・ハーンは、
恐らくはトルコのアタチュルクに倣ってでしょうが、
イランの近代化に尽力し、
女性のヴェール着用の非合法化など、
反イスラム~親西欧的な政策を進めていきます。
が、トルコと同じく行き過ぎた嫌いがあり、
徐々に民衆の不満が高まっていったようです。
その後、第二次世界大戦中には再びイギリスとソ連の侵入を受け、
領土は分割されてしまい、結果、レザー・ハーンは王位を息子に譲り、
ここにセンセ世代が知るパーレビ国王が誕生します。
パーレビ国王 ウイキより
Ghazarians - http://www.pahlavi.org/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=56835477による
正しい名前はモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィーとのことです。
絵、ですかね?写真ですかね??それとも AI でしょうかね???
ホント、AI の登場で厄介な世界になりつつありますね!!!
戦中にテヘランで行われたテヘラン会談において
戦後のイランの独立、領土の保全~安全保障などが取り決められ、
ここにおいてイランは漸く発展の未来図を描けるかと思われましたが、
1950 年代初頭、
時のイランの首相であるモサデク氏がイギリス資本の石油施設の国有化を図り、
その結果、イギリスとアメリカの介入を招く結果となりまして、
ここからイランは迷走を始めることとなりました。つづく!
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