さて「今週の世界情勢」、大きな展開はありませんでしたが、
トランプ、しびれを切らし、
適当な数値を書いたお手紙を各国に渡すとのこと WWW
石破さん、取り合えず貰っとけば?
その後どうなるか、トランプ本人すら知らないだろうし WWWWWWWWW
で、例の「大きくて美しい法案」がかろうじて議会で承認されたのを受け、
イーロン・マスクが猛烈に反発!
自ら「新党」を作ると息巻いている・・・
センセとしては「いいぞ~~~もっとやれ~~~!!!」
というカンジかな WWWWWW?
大体あの国、本来は色々な意見があるはずなのに、
二大政党に分極されてしまっているのが自らの大きな足かせになっている・・・
アメリカ国外の住民から見れば一目瞭然なのに、
何故か改革できない・・・
加えて大統領の権限が巨大過ぎる・・・
あれくらい強大な権限を持たないと、やはり、
あれくらい大きな国は分裂する可能性があるのでしょうかね?
ある意味、インドなどは奇跡なのかもしれない・・・
今や人口は中国を抜いて世界一!
今年中には GDP も日本を抜くと言われている!
あれだけ雑多な民族と言語を包含する国家でありながら、
何とか民主主義を維持してさらに、
「一国」であることに成功している。
少なくとも今のところは・・・
毎回毎回莫大なお金が乱れ飛ぶアメリカの選挙戦。
わーくにでは
真夏の運動中に「うちわ」を配ったらしょっ引かれるという WWWWWW
どちらが「民主的」かつ「効率的」なのか、
微妙なところではありますね WWWWWWWWW
さて、イランです。
帝国主義時代のイギリスとロシアの確執から生まれた
グレートゲームに翻弄されてきた過去を持つ国です。
一般的に、北部はソ連の影響下に、
その他地域はイギリスの影響下に置かれたと考えられるわけですが、
油田の多くはペルシャ湾沿岸地域に存在します。
従いまして、これらの油田は、
イギリス資本のアングロ・ペルシャ石油会社によって開発されてきました。
で、前回述べた、パーレビ国王下のイランで首相となったモサデク氏ですが、
1951 年、石油資本の国有化を図ります。
たぶん、純粋に民族主義的な意思に基づく行動だと思いますが、
これにイギリスが反発!
当時のアメリカ大統領であるハリー・トルーマンの袖を引いて
一緒にモサデク首相を引きずり降ろそうと企むのですが、
逆にトルーマン氏に袖にされる始末・・・
この当時、極東の半島で非常に大きな有事が発生しましたので、
トルーマンもそれどころじゃない。
マッカーサーもそれどころじゃない。
で、大統領がアイゼンハワーに変わった 1953 年、
大統領アイクはイギリスの提案を了承し、
MI6 と CIA が結託してイラン国軍の将軍を焚きつけて
クーデターを起こさせた!
実際のところ、
モサデク首相は特にソ連寄りというわけではなかったようですが、
第二次大戦後の新興諸国の多くがそうであったように、
民族主義的~反植民地主義的であったのは確かです。
理想に燃えて国有化を断行したのだと思いますが、
残念ながらソ連 vs 西側の冷戦構造が固定化しつつある時代であり、
現実に朝鮮半島ではドンパチやっている最中でもあり、
アイクとしてはそのような構造の中で下した決断ではある、
とは思います。
但し、アイク本人も、後日、
自らのこの決断を悔やんでいたそうですが・・・
で、モサデク首相は失脚し、パーレビ国王が自ら舵を取る形で
イランの近代化を一気に目指す国家指導型の改革へと乗り出します。
政策の内容としては、
ヒジャブと呼ばれる女性の被り物を禁止したり、女性に参政権を与えたりなど、
イスラム色を大いに薄める解放政策を積極的に行っていきます。
教育にも力をいれ、
また、アメリカ資本も大きく流入し、
さらには石油価格の上昇に伴って歳入も増加し、
知識と技術と資金を獲得した新たな市民層も生まれるなど、
国力も大きく増していきます。
一方で地方~農村地域などではこれらの改革から取り残された人々も多く、
その多くが熱心なイスラム・シーア派教徒であり、
識字率も未だ低く、
隣国のトルコ共和国がまさにそうであったように、
イケてる人々とそうでない人々との間に大きな格差が生じてしまいました。
こういう風に見てくると、特に日本人を含む西側の住民としては
パーレビ国王の改革は大変良いもののように思われますが、
やはり「急激な改革」というものは、
たとえその内容がどれほど良いように思われても、
その「急激さ」そのものが嫌がられるのでしょうね。
特に経済的格差が急激に生じると、どうしても賄賂その他、
負の側面が表に出てくる・・・
また、長年にわたって生活そのものを律してきた宗教や慣習が
外部からの影響によって急激に変わるのも、ヒトとして耐え難い・・・
このような気持ちもよく分かります。
そう考えると、日本の明治維新は上出来です!
また、日本の明治維新や日露戦争の勝利が
北欧や西アジア~南アジアに及ぼした影響は有名ですね!
センセは毎週土曜日のお昼 12:00 は、
たぬきそば~冷やソーメンを手ずから作って
BS の「関口宏の一番新しい近現代史」を見ながらチュルチュルすすってますが、
今年からは、
あのウクライナ戦争で一躍「時のヒト」となった小泉悠氏、
相方としては岩間陽子氏が解説を務めておられます。
で、昨日は「日本海海戦」をテーマに語り、
先週は旅順から奉天会戦までを語っておりましたが、
両氏とも、
乃木大将とステッセル将軍の「水市営の会見」の歌を知らなかった・・・
センセは 4 番までなら全部知ってるのに・・・
で、あれだけ戦記に詳しい小泉氏でも知らないこともあるのだなあ~と、
ほんの少しだけしょうもない優越感を抱いたセンセです ♪♪♪♪
水市営の会見 ウイキより
中央、左から二人目が乃木大将、その右隣がステッセル将軍です。
不明 - The Japanese book "國の光" (The light of our nation) published in 1909, foto first published by 朝日新聞 (Asahi Newspaper), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=307168による
YouTube の画面は「明治天皇と日露大戦争」ですね!
明治天皇役は嵐寛寿郎、いわゆる「アラカン」さんでした!
で、石油を国有化したことで
民族主義的な意識もより一層に高まったであろうイラン国民でしたが、
クーデターによってプライドが踏みにじられ、また、
クーデター並びに国王による改革の背後には
アメリカとイギリスが存在していることを知ったことから、
徐々に反米、反英感情が高まっていきます。
このような形で高まる反政府運動に対して、
パーレビ国王、CIA だけでなく、ナンと、モサドの手も借りて
これを弾圧し始めます。
石油の輸出で潤っていた財政ですが、
第一次オイルショック後の反動による価格低迷によって経済も怪しくなり、
不穏な空気が漂い始め、
アヤトラと呼ばれるイスラムの指導者たちも政府を攻撃し始め、
さらには
ムジャヒディン・ハルクのような社会主義戦闘集団まで現れるなど、
騒然とした世情の中で、
1979 年、センセの世代が目の当たりにした、あの、
ホメイニ氏によるイスラム革命が勃発することとなりました!つづく!
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