古代イエメン~エチオピア~アラブについてお話しておりますが、
折しも、
エチオピア難民がイエメン経由でサウジアラビアに入ろうとしたところ、
サウジ側の国境警備隊によって銃撃を受け、
多くの死者が生じている、とのニュースが入ってきました!
ここ数年で犠牲者は数百名にのぼる、との情報もあります。
ロイターに動画があります。
動画を見れば明らかなように、岩がゴロゴロした山岳地帯です。
「アラビア」から連想されるような、広大な砂漠とは大きく異なる印象です。
サウジアラビアは「サウド家のアラビア」という意味で、
ご存知のように、サウド家出身の世襲の王様により統治されている国です。
一応「評議会」と言う名の議会みたいなものがありますが、
日本や西欧などの民主国家の議会とは程遠く、
単に国王を補佐するような機関らしいです。
基本、内政はシャリーアと呼ばれるイスラム法に則って行われますので、
やれムチ打ちの刑とか石打ちの刑とかが実際に執行されるようです。
数年前のカショギ氏暗殺事件などでも明らかなように、
とても 21 世紀の現在を生きている政体とは思えません。
それでも国民に不満があまりなさそうなのは、もちろん、
石油収入のバラマキによるものでしょう。
加えて地政学的な観点から、
「アメリカが大目に見ている」という点も指摘されるでしょう。
一般論かもしれませんが、
イスラムの教えを世界規模で広めたアラブ人ですが、
西のモロッコから東のイラクに至るまで、
本当の意味で政治的に安定している国家が見当たりません。
数年前の「アラブの春」では
これらの地域における民主化の広まりが期待されましたが、
シリアに見られるようにかえって不安定化してしまいました。
「アラブの春はチェニジアのみが成功した!」と言われてましたが、
現在、そのチェニジアすら不安定化しつつあるようです。
非アラブのイスラム国家である
イランやパキスタン、アフガニスタンなどは言わずもがなですが、
マレーシアやインドネシアなどの東南アジアのイスラム国家は
比較的安定しているように見えますので、
必ずしも「イスラム教」そのものに原因があるのではないのかも知れません。
厳格主義~原理主義と世俗主義の差でしょうかね?
現在サウジアラビアはイエメン紛争に介入中で、
しばしばイエメン爆撃が報道されます。
今回のエチオピア難民虐殺も、紛争介入と関係があるような気がします。
そもそもが、サウジアラビアによるイエメン介入の理由などは、
部外者にはサッパリ分かりまへんが・・・。
さて、古代イエメンに戻りますが、
ゴタゴタのヒムヤル国にササン朝ペルシャが介入し、
最終的にはこの地からアクスム国の影響を排除するだけでなく、
南アラビア沿岸一帯を自国領としてしまいます。
この時代、北アラビア地方にはいくつかのアラブの小国があり、
また、内陸部にはベドウィンの部族連合みたいな連中も居りました。
中東地域の覇を争って頻繁に干戈を交えるビザンチンとササン朝ですが、
ササン朝優勢となってくるとこれらのアラブの小国も飲み込まれ、
621 年にはローマからエジプトも奪取し、
ここにホスロー 2 世によるササン朝の最大版図が現出します。
このような時代背景を伴って、マホメットが登場してきます。
次回はササン朝ペルシャについて少しお話をした後で、
ゴータマさんともイエスさんとも大いに異なる
マホメットさんのお話をしてみたいと思います。
ホスロー 2 世時のササン朝ペルシャ最大版図 ウイキより
ペルシャと言えばササン朝、というカンジですね!
最近ではサーサーン朝と呼ぶのも多いです。
どっちでもいいですよ~♪
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