今月のウクライナ-165

前回、並びに「今月のウクライナ-159」の続きとなります。
ウマイヤ朝は北アフリカ・マグレブ地域へ怒涛の進軍を行いますが、
マグレブ総督のムーサーと部下のターリクはその勢いのままに海を渡り、
イベリア半島に上陸!
西ゴート王国を滅ぼしてしまいます。西暦 711 年のことです。
ムーサーはアラブ人、ターリクはベルベル人です。
因みにムーサーと言う名前はユダヤ教のモーゼに相当します。
実は、アラブのイスラム教徒の名前には、ユダヤ教やキリスト教と同じく、
旧約聖書から取られた名前が多いです。
ただ、発音が異なるので、ナカナカ気が付きませんが・・・。

同じ名前同士でケンカばかりしているという WWWWWW。

で、西暦 732 年、一旦「トゥール・ポワティエ間の戦い」で押し返されますが、
その後は半島の大部分を支配する時代が長らく続きます。
西ゴート征服後は、
財宝に加えて捕虜としたゴートの王侯貴族数百名を引き連れて
カリフの住まうダマスカスに凱旋したとのことです。

で、
イスラム教徒によりその大部分が支配されることとなったイベリア半島ですが、
ピレネーの南山麓一体にはキリスト教徒の小王国がいくつか残り、
イスラム国家に税金を納めるなどして何とか生きながらえておりました。

その後、
今月のウクライナ-161162」でお話したアッバース革命が起こりますが、
革命の嵐を逃れたウマイヤ家のオトコ、アブドゥル・ラフマーン1世
(=アブド・アッラフマーン1世)は何とか殺戮を逃れ、
少数の部下を引き連れて北アフリカからイベリア半島に渡り、
そこで自分の勢力を築き上げて在地のイスラム勢力と戦い、これを打倒!
西暦 756 年、コルドバに入城し、自らの王朝を打ち立てることに成功します。
これを後(こう)ウマイヤ朝と呼びます。

因みに彼の母親はベルベル人であったということです。

その後は
アッバース派の反乱軍やフランク王国のカール 1 世などとも戦いますが、
これらを全て打ち破り、
コルドバは、東のバグダッドと並ぶ空前の繁栄の時代を迎えることとなります。

アブドルラフマン一世.jpgアブドゥル・ラフマーン1世の像  ウイキより
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