今月のウクライナ-164

さて、イベリア半島です。現在のスペインとポルトガルの地です。
イベリア半島の最南端に位置するジブラルタルはイギリスの飛び地であり、
地中海の出口~入り口を押さえる戦略的な場所であるがゆえに
イギリス海軍の軍事施設もあり、同時に、
「最後のネアンデルタール人」の地としても、
その道の人々の間では有名な場所です。

これまでの説ではネアンデルタール人の絶滅時期は 2 万 8000 年くらい前、
と言われてましたが、最新の研究では
絶滅時期はクロマニヨン人などの現生人類が欧州に現れる時期とほぼ重なる
およそ 4 万年くらい前、との説が唱えられてます。
それでも数千年くらいは両者は共存していたようで、
ペーボ博士の研究結果から、現生人類とネアンデルタール人との間には
ある程度の交雑があったことが知られてます。
このブログでも何度かご紹介してまいりました。
現在の欧州人の間でも、
前回お話した立派な眼窩上隆起を有するヒトがしばしば見られますが、
事によると、ネアンデルタール人との交雑を示唆するものなのかも・・・。
歴史的な人物としては、
アンデルセンなんかもナカナカ結構な隆起を持ってます。

で、出アフリカ以降の数万年にわたって
欧州大陸では狩猟採集民が広く薄く点在していたようですが、
冷涼にして日光の少ないこの地において、
彼らは形質的にも段々と変化していきました。
その途次においては、これも以前のブログでお話しましたが、
黒い肌に青い目を持つ人々などもいたようです。

一応、現在の説では農業は現在のトルコの地、
いわゆるアナトリアでの発生説が主流のようですが、
ま、あまりピンポイント的に考える必要もなく、
大雑把に中東の地で生まれた、と考えておいて OK 牧場だと思います。
で、イベリア半島におそらく
初めて農業をもたらしたであろうと思われる人々がその名もイベリア人で、
彼らの起源はコーカサスあたりだったと考えられてます。
彼らは、紀元前 5000~3000 年くらいの間におそらく船を用いて移動し、
現在のイベリア半島東岸に移住~定住したようで、
現在のバスク地方に住むバスク人との関連を指摘する向きもあります。

時代が下って紀元前 1000 年代になると、
ピレネー山脈を越えて北方の地からケルト人が侵入し、
ケルトは中央から西、イベリア人は東と住み分けていたようですが、
中央部では両者の混交も生じ、
ケルティベリア人=ケルト・イベリア人となりました。

イベリア人.jpgグラナダ県バサから出土した「バサの貴婦人」と呼ばれる像  ウイキより
イベリア人の文化を表すものだそうです。
Enciclopedia Libre: Dama de Baza ampliada.jpg.
作者: Pablo Alberto Salguero Quiles., CC
表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=675067による


その後は一時的にアフリカ対岸のカルタゴの支配下に置かれますが、
カルタゴがローマに滅ぼされるとローマの支配下となり、
この地は段々とローマ化していきます。

ゲルマン人の大移動の時期、西暦 5 世紀初頭には
例のヴァンダル人に一時的に占拠されたますが、
ヴァンダルが北アフリカに移動したのちは西ゴートの連中がこの地を占め、
イスラムの侵入まで、イベリア半島は西ゴート王国の地となります。

因みに、イベリア半島南端部をアンダルシア地方、
イスラム時代の半島の支配地域全体をアル・アンダルスなどと呼びますが、
これがヴァンダルに由来するものであることはお分かりでしょう。