今月のウクライナ-159

東部の前線で部下への勲章授与式を行っていたら攻撃されて 
20 名以上が死亡したり、
キエフでは将校が自分の誕生日に同僚から送られてきた手榴弾が爆発して
死んだり、
オイオイ、キミたちたるんでおるのではないのか!?
ペシペシ!!!(往復ビンタ)
でも、クリミア南部のロシア軍造船所をミサイルで攻撃して
新造のコルベット艦に損傷を与えて就航前に廃艦にしたので
チャラにしときます。

さて、正統カリフ時代には
早くもエジプトとペルシャの全土を手中に収めたイスラム教徒でしたが、
ウマイヤ朝の時代にはさらに領土を広げていきます。
各地に遠征するイスラムの将軍たちは出先で軍事拠点を設け、
攻略した都市や町から奪った品々や金銭、
あるいは支配下の非イスラムから得られる税金などを元にして
さらに領土拡張に努めた結果、
東においては現在のパキスタンからアフガニスタンを、
西においては
リビア、アルジェリア、モロッコにまで到達して大西洋を臨んだのみならず、
ジブラルタルを渡ってイベリア半島に渡り、
さらにはピレネー山脈を越えてフランク王国に進攻!
西暦 732 年には「今月のウクライナ-79」でお話した
トゥール・ポワティエ間の戦い」に至ります。

サハラ以北のアフリカの地をマグレブ、以南の地をサヘルと呼びますが、
アラビア語です。
マグレブは西方の意味で、サヘルは岸辺という意味だそうです。
で、マグレブ地域には原住民としてベルベル人が住んでおりましたが、
この地はカルタゴ~ローマ~ヴァンダル~ゴートなどによって
コロコロと支配者が変わっていった地域です。
支配者が次々と変わってもベルベル人はベルベル人として存続し、
現在でもこの地域に幅広く居住し、
有名な砂漠の民、トゥアレグなどもベルベルの一派です。
特にアルジェリアやモロッコの山岳地帯などに数多く居住し、
9 月に発生した大地震では数多くの被災者を出したのは記憶に新しい所です。

トウアレグ族.jpgトゥアレグ族  ウイキより
Dan Lundberg - Flickr, CC 表示-継承 2.0
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3255442による


ベルベルの呼び名の由来ですが、
古代ギリシャ人が異民族に遭遇した際、彼らが話す言葉を聞いて
「ブラブラブラ・・・」としか聞こえないので、
「ブラブラ=バルバロイ=野蛮人」と名付けた。
その後にローマ人が北アフリカを植民地化した際、
「ブラブラブラ・・・」と話す野蛮人に遭遇したのでベルベル人と名付けた、
と言われてますが、
現代のベルベル人は、もちろん、野蛮人ではありませぬ。

で、「今月のウクライナ-23」でお話したように、
アラブ人、ベルベル人共に「アフロ・アジア語族」に属しますが、
もちろん、言葉が通じるわけではありません。
また、当然ながら、マグレブへのアラブの侵攻以前はイスラムではないですし、
習俗なども異なるわけですが、
基本、砂漠の民であることから、
日本人などの外部の目から見ると、似たような人々に見えます。

そもそもが
トゥアレグ族とベドウィン族を見分けられる日本人は珍しい!
と思いますが・・・。

ベドウィンの若者.jpgラクダに乗るベドウィンの若者  ウイキより
http://www.dmitrimarkine.com, CC 表示 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4400153による


で、当初、アラブの侵入に対して彼らは激しく抵抗したわけですが、
次第にイスラムの軍門に降り、
イベリア侵攻の際にはその先兵となり、
現在ではすっかりイスラム化し、
言語も、少なくとも公的には、アラビア語を話す人々が多数ということです。

ベルベル人.jpgベルベル人の男  ウイキより
CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1083270