今月のウクライナ-50

クリミアに続いてベラルーシでも謎の爆発が・・・。
加えてケルチ海峡にかかるクリミア大橋にも謎の爆撃が・・・。
おかげで、ロシアの攻撃は東も南も当面頓挫とのこと・・・。
プーチン、ここにきて北朝鮮の義勇軍を「無慈悲にも」投入するか???

さて、クシャーナ朝のカニシカ王と言えば仏教の保護者として有名ですが、
クシャーナ朝の中心部、現在のアフガン~パキスタン辺りは、
昔も今も、雑多な民族と多様な宗教で彩られているところです。
現在のこの地は圧倒的にイスラム教が優勢ですが、
当時はゾロアスター教、ヒンズー教、仏教、ギリシャの神々、その他、
多くの神様がおりました。
で、カニシカ王はその中で仏教に帰依しますが、
仏教はカースト制を否定すれども他の宗教を否定しませんので、
クシャーナ朝は、仏教優勢ではあっても、
宗教的にも多様性に富んだ国家であったと考えられます。

また、多くの他部族を支配下においたことから、
カニシカ自身の「王」としての名称もこれらの他部族の「王」の名称を借りて
「シャーヒ・ムローダ・マハーラージャ・ラージャアティラージャ・
デーヴァプトラ・カイサラであるカニシカ王」
というのが正式であったそうです。解説しますと、

シャーヒ=トカラ語で王
ムローダ=サカ語で王
マハーラージャ=ヒンズー語で王
ラージャアティラージャ=イラン語で王の中の王
デーヴァプトラ=中国の「天子」を意味
カイサラ=ラテン語の「カイサル」=王

ということです。以上、ウイキペディアより。

で、クシャーナ朝という名称はインド風に呼んだ名前ですし、
確かにガンジス川中流域まで領域を伸ばしていますし、
仏教も広めましたし、
などというところから学校ではインド史の流れの中で教わると思いますが、
領土はインドというよりもむしろアフガン~パキスタンですし、
ネットに載ってるカニシカ王の石像を見ても、頭部がありませんけど、
長いコートとブーツをはいてインドとは全く異なる風体ですし、
やはりこれは遊牧民による王朝なんだなあ~、との感を新たにします。

カニシカ王.jpgカニシカ王を刻んだ金貨。こちらはちゃんと頭があります。 ウイキより
石像も、同じような姿です。インドの雰囲気皆無です。
月氏は明らかに印欧系であるのが良く分かります。


で、カニシカ王のころのクシャーナ朝の首都、現在のペシャワールですが、
この地に彼は多くの仏教寺院や仏塔を建立し、また、ガンダーラの地において
多くのギリシャ人の芸術家を雇って仏像を作らせます。
ここにおいて、かの有名なガンダーラ仏教美術が花開くこととなります。
以前にお話したように、
初期の仏教ではお釈迦様の像を作って拝むことはご法度でしたが、
ギリシャ芸術の影響によって、現在見られるような荘厳な仏像群が、
奈良や京都など、むしろインド以外の地で数多く作られることとなりました。

ガンダーラ-2.jpgお釈迦様の頭 Wikimedia Commons より
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:BuddhaHead.JPG
シャカ族=サカ族なので、そもそも印欧系であるのは分かりますけど、
どうにもこうにも違和感が・・・。


このようなカニシカ王の熱心な仏教崇拝は、
当時、西域にまで支配力を伸ばしていた後漢に伝わり、
中央アジアから中国へ、
そして聖徳太子の頃には海を渡って日本にも伝わります。
興味がおありの方は、
ウイキの「仏教のシルクロード伝播」に詳しく載ってますので、
訪れてみて下され!