今月のウクライナ-127

なでしこ、次回の対戦相手はスウエーデンと決まりました。
ダビデとゴリアテの戦いです。

さて、ローマによって自らの土地を追われたユダヤ人ですが、
帝国各地に自分たちの小規模な共同体を形成し、当面は、
ユダヤ教の教えを守りながら従来と変わらずに生活しておりました。
ローマにとってみれば、ユダヤ人とは、
「一か所に集まれば厄介だが、分散してしまえばナンと言うこともない連中」、
ということだったのでしょうね。

一方で、ローマにとってはキリスト教徒が新たな厄介の種となってきました。
すなわち、ユダヤ教はユダヤ人の間だけで共有される宗教ですし、
基本、ユダヤ人はユダヤ教を他民族にあまり広めようとはしない一方で、
キリスト教徒は国籍民族を問わずに積極的に信仰を広める努力をしたおかげで、
多神教を信仰する享楽的なローマの人々の間にも
キリスト教がジリジリと広まるようになっていきました。

日本軍は皮膚病だが、共産主義は内臓病だ!」
と言ったのは蒋介石ですが、同じような考えの下、
当時のローマの皇帝たちは、ローマ市民への見世物として、
猛獣がうろつくコロセウム=コロッセオにキリスト教徒を放ち、
トラやライオンに追わせて殺害するなど、
ひどく残虐な方法を用いて彼らを迫害します。
このような残酷な見世物が喜ばれていた当時ですが、
やはり人間には「良心」というものがアプリオリに存在するもので、
ローマ市民の中にはかえってこのような見世物に反発する者あり、また、
迫害の中でも殉教として死を粛々と受け入れる
当時のキリスト教徒の有様に心打たれる者もあり、
ということで、
逆に信者が増えていくありさま!

いわば、摘出すれば OK の良性腫瘍であったのがユダヤ教徒、
これに対し、
摘出不可能な浸潤性の悪性腫瘍だったのがキリスト教徒、
というカンジですかね?
例えが悪いような気もしますが・・・。

こういう中で、決定的だったのが、
今月のウクライナ-77」や「-124」で登場するコンスタンティヌスの改宗です。
やっぱし皇帝自らが改宗するのは大きいですね!
聖徳太子みたいなモンかな?

けれどもやはり、
キリスト教の教えそのものの中に改宗したくなる何かがあった、
というべきかと思います。
それは「良心」とか「愛」とか言う言葉で表現できるかと思いますけど、
確かに八百万の中にはあまり見当たらない概念ですね。
八百万もあるので探せばあるかも知れませんが、
探すのが億劫です・・・。

縁結びの神様って「愛」の神ですかね?
確かにある意味そうでしょうけど、キリスト教の「愛」の概念とは
ちょいと異なる気がしますが・・・。

で、愛と良心の信仰たるキリスト教ではありましたが、
時代を経るにつれてどんどん変質して行くのも歴史的必然、
ということでしょうか?

次回から、漸くマホメットさん=ムハンマド氏が登場します。

コロセウム.jpgコロセウムでライオンの餌となるキリスト教徒  ウイキより
人間の残酷さにはすごいものがありますが、
中世では逆に、
キリスト教徒がユダヤ教徒に対してこれをやらかすようになります。