今月のウクライナ-124

酷暑の日々です。
熱中お見舞い申し上げます。

さて、「今月のウクライナ-77」でお話したように、
西暦 312 年、ローマ皇帝コンスタンティヌス 1 世は突然に神の啓示を受け、
いきなりキリスト教に改宗してしまいます。
彼自身は熱心なキリスト教徒となりますが、一方、
313 年にはミラノの勅令を発布して信教の自由を保障するなど、
宗教的には非常に寛大な政策をとります。
面白いことに、自らのローマ多神教に関しては、これの禁止措置をとります。
なじかは知らねど・・・。

たぶん、一神教の方が帝国の統治に都合が良かったんじゃないかな?
中でも民族を超えた普遍性を有するキリスト教、仏教、イスラム教などには
異なる民族をまとめ上げる力がある、
とも言えます。
その点、
民族宗教であるユダヤ教で「帝国」をまとめ上げることは不可能かと・・・。
いわんや天照大神以下八百万の神様による大東亜共栄圏の建設をや・・・。

380 年には東西のローマ皇帝が共同してキリスト教を国教とする旨を宣言。
これ以降、キリスト教会はキリスト教徒とユダヤ教徒を厳しく区別しはじめ、
両者間の結婚も禁止されることとなります。
6 世紀には、東ローマ皇帝、ユスティニアヌス 1 世が登場しますが、
後に「大帝」とも称される彼は政治~軍事ともに優れ、
東ゴートやヴァンダルなどのゲルマン系蛮族を打ち破るなど、
東ローマ帝国の最盛期を現出した皇帝でした。

この当時のキリスト教は「今月のウクライナ-77」でも描いたように
多数の宗派に分かれて互いに破門合戦を繰り返し、
門外漢にとっては些末に過ぎるような違いに対して
殊更に異議を唱えて争ってばかりおりました。

で、大帝、三位一体(さんみいったい)という、
キリスト教徒以外では誠に理解困難な教義を掲げる宗派を正統とし、
その他の宗派を異端として迫害していきますが、
東ローマ帝国=正統的キリスト教国とすべく、
宗教的情熱に駆られて、
帝国版図内の様々な異教徒に対して徹底的な弾圧を行います。
おかげでこの時、ユダヤ教徒に対しても、多くの権利の剥奪が行われました。

このようなキリスト教普及の熱情の中で
「ユダヤ人=キリストを密告した連中」と言う
身も蓋もない、
しょうもない物語が形成されていくわけですが、
当のキリスト本人がユダヤ人であったわけですし、
加えて彼自身もまた「自分の教えこそが正しいユダヤ教である!」
と考えていたに違いないと思われますので、
実のところ、キリスト教というのは、
イエス・キリスト亡き後に、
彼の生前の言動に基づいて取り巻き連、
あるいはその後の連中が作り上げた新興宗教である、
ということになります。
イエス・キリスト本人は、
当時の「堕落した」形式的ユダヤ教を批判しこそすれ、
自らがヤハウェの神に真っ向から対立するような宗教を作り上げるつもりは
微塵もなかったと思います。

もちろん当時の新興宗教たるキリスト教もまた、
あるいは現在のキリスト教もそうですが、
絶対神たるヤハウェ神の存在の上に成り立つ宗教でありますが・・・。

以上を見ても、
確かに迷信~偏見というのは恐ろしいものであるなあ、と感じます。
しかもそれが宗教的に正当化され、
さらには国家の政策の中に繰り込まれてしまう場合、いったいどうなるのか?

それは、今後の歴史の中で語られていくこととなるわけです。

ユスティニアヌス一世.jpgユスティニアヌス 1 世のモザイク画  ウイキより

うん、東ローマ帝国、ってカンジがしますね!
あの素晴らしい古代ギリシャの学問を自ら破棄し、
暗黒の中世ヨーロッパの礎(いしずえ)を築いた人たち、
というのは穿ちすぎな見方でしょうか?

最後はオスマントルコに滅ぼされます。