今月のウクライナ-58

五胡十六国の時代の中東からインドの情勢は如何に?

後漢の頃の中東~インドは、パルティアとクシャーナ朝の時代です。
今月のウクライナ-49」辺りから参照して下され。
紀元 3 世紀初頭にアルダシールという人物が登場します。
彼自身はゾロアスター教の神官であったとのことですが、
元々はアルサケス朝パルティアに従属していた一王国の王族出身であり、
祖父の名前がサーサーンで、
この名前がその後の王朝の名称となります。

で、パルティア王国内で台頭してきたこの一族ですが、
紀元 224 年、アルダシールがパルティア軍を打ち負かし、
ここにサーサーン朝ペルシャが誕生します。
アルダシールはアルダシール1世となり、
ペルシャと言えばサーサーン朝
と言われる華々しいペルシャ文化が花開くこととなります。

一方のクシャーナ朝ですが、
カニシカ王の時代に仏教を保護して版図も広げ、
シルクロードの要衝の地を占有して一時代を築き上げましたが、
その後は程なくして勢いも衰え、小国に分裂してしまいます。
紀元 3~4 世紀頃には新しく興った西のサーサーン朝と
東に興ったグプタ朝によって圧迫を受けるようになり、
3 世紀後半になるとサーサーン朝の支配下に置かれるようになりました。

紀元 320 年、インド東北部のマガダ地域から興った一族の中から
チャンドラグプタという名の王がこの地に強力な王国を築き上げ、
ここにグプタ朝が誕生します。
グプタ一族はそもそもは卑賎の出自であったらしいのですが、
高貴な家の背景を持つ姫君と婚姻関係を結ぶことにより、
体裁を整えた、と言われてます。
二代目のサンドラグプタの時に勢力が増し、
東はガンジス河口から西はインダス河口に至るまで征服した結果、
クシャーナ朝に継ぐ規模の王国を築き上げることに成功します。

因みに「今月のウクライナ-44」でも指摘しましたが、
マウリア朝の初代の王もチャンドラグプタですので、
世界史の試験の時にはくれぐれも気を付けてください。

サンドラグプタ自身がバラモン教の信徒であったことから
グプタ朝の時代はヒンズー教が復興して盛んとなりますが、
仏教が弾圧された訳ではなく、
仏教美術などでも「グプタ様式」と呼ばれる仏像が多く作られました。
また、天文学や数学、物理学なども発展し、
「数字が得意なインド人」は、この時に誕生したのかも知れません。

サーサーン朝とグプタ朝.jpg紀元 3 世紀後半~4 世紀前半の中東~インド地域
中国北方では五胡の連中が大暴れを開始する時代です。 


この後のユーロアジアの展開ですが、
戦闘的遊牧民の連中が世界をさらに大規模にひっかきまわし始めます!