今月のウクライナ-44

さて、アレキサンダー大王遠征の頃、
インド亜大陸は多くの小国の集合体の状況を呈しておりました。
その中の一つ、ガンジス川中流域に、マガダ王国というのがありました。
マガダ王国は、当時、ナンダ朝の支配下にあり、
ナンダ王の部下に、チャンドラグプタという名の男がおりました。
彼はナンダ王の軍司令官でしたが、反乱を起こし、これに失敗。
西に逃亡したところ、
折よくここまで遠征していたアレキサンダー大王と出会うこととなります。

で、大王自身は動くことはなかったようですが、
たぶん、色々と援助とかしてもらったんだと思いますけど、
チャンドラは、パンジャブ地方で軍隊を組織し、
東方のナンダ王国に攻め込み、これを乗っ取ります。
紀元前 321 年のことです。

※ここら辺の記述はプルタークによるもので(又聞きですが)、
ウイキの記述とは異なります。

チャンドラ王は、多くのインド象や戦車を有する強力な軍隊で
西北インドに残留していたギリシャの軍隊をも排除して
この地をインド化していきますが、同時に、
ギリシャ人の傭兵を雇ったり、軍隊をギリシャ風に改造するなど、
「近代化」に力を注ぎます。
その結果、東はベンガル湾から西はアフガニスタン~バルチスタンまで、
すなわち、
アレキサンダー亡き後のセレウコス朝との境まで領土を大きく広げ、
ここにインドの歴史上初めての統一国家、マウリア朝が形成されます。

マウリア朝.jpgマウリヤ朝の最大版図  ウイキより


チャンドラグプタはアーリア系ではなく、下賤の出自であったと言われてます。
また、後に出てくるグプタ朝のチャンドラグプタとは別人ですので、
世界史のテストでは注意が必要です。
アッカドのサルゴンなんかも、アッシリアの同名の王様とは別系統です。

で、チャンドラグプタ自身はジャイナ教徒で、
その子のピンドウサーラはバラモン教徒でした。
で、チャンドラの孫のアショカ王が仏教に深く帰依することになった結果、
マウリア朝の版図にあまねく仏教が広がることとなりました。

この後、統一帝国としては、クシャナ朝グプタ朝と続きますが、
いずれも仏教を保護し、これを広めます※。
にもかかわらず、南端のセイロン(スリランカ)を除き、
現代のインド亜大陸では、仏教は全く振るいません。
※グプタ朝時代はヒンズー教が復活しますが、仏教も保護されてました。

仏教にせよイスラム教にせよシク教にせよ、
その教義はヒンズー教の最大の特徴であるカースト制度を否定するわけですが、
インド人民の絶対的多数がヒンズー教徒であるという事実は、
そこにはナンカがあるんでしょうね。

それはナンダ!

これ以上は突っ込みませぬが・・・。