今月のウクライナ-35

漸く 7 月が始まったばかりなのに連日の猛暑!もうしょがないっ!
って、天を仰いで罵る毎日ですが、ホント、体も可笑しくなってきてます。
血圧が下がってフラフラする・・・。
この後 2 ヶ月半も続くかと思うと、、、、、、どうしますかね?
若いころは夏休みともなれば日焼けしたさにわざわざ二階の屋根に上って
上半身裸になって仰向けになってグラサンをかけてコパトーンを塗って
直射日光を浴びまくるという若者特有のバカなことをしてたもんですが、
やっぱり若者とバカ者とは近い言葉なんだなあ~と、
我が身をもって思い知らされる遥か昔に還暦を迎えたセンセです。

で、エルドアン、漸くスウエーデンとフィンランドの NATO 加盟を了承した。
しぶといオトコだね、ホント。
ま、日本のように、
国内での独立運動やテロリズムとは無縁の連中がとやかく言うべきではない、
とは思いますけど・・・。
一方でこれに加え、
ロシアがカラフト油田開発の日本側権益を接収する動きが出てきた。
英国が見切りをつけて逃げ出した時、センセは、
「日本もさっさと損切しないと人質に取られる可能性があるぞ!」
と思っていたら、ホントにそうなった。
ま、今回のウクライナ戦争を教訓として
日本人も漸くのこと現実を直視できるようになればこれはこれで・・・、
ということなのかな?
ウクライナの戦況においては、ウクライナ側が例のヘビ島を奪還した。
一方で、東部戦線に進捗は見られない。
※本日(7/3)、東部ルガンスク州をロシアが全域掌握、との報道が!
ロシアのミサイルは民間人施設ばかり直撃してるが、
意図的なものなのだろうか?
それとも精密誘導が出来ないために誤爆してるのだろうか?
戦争が長期化することで、ロシアには何らかの利する所はあるのだろうか?


さて、中東あたりに印欧語族が侵入してドタドタやっていた頃、
連中は遠く東アジアにも足を延ばし、古代中国にも大きな影響を与えました。
ここら辺の事情は過去ログ「今月の書評-575877」に詳しく書きました。
現在読んでみても我ながらナカナカ良く書かれてますので、
是非、再度、お目を通して下され。
特に「」の国が使用していた戦車などは
前身にあたるような代物(しろもの)はこれまで中国国内では見つからず、
いきなり全くの完成品がゾロっと殷墟に登場するわけですから、
中央アジアのステップを通ってはるばるやって来た印欧語族の遊牧民連中が
戦車と戦馬一式、丸ごと伝えたのは明らかです。
伝えただけでなく、使用法、馬の種類、メンテナンスなども
教えなくてはならなかったはずですから、
たぶん、マリアンヌみたいな傭兵連中が居た可能性も大有りです。
加えて、
王の死去と共に戦車+馬+御者+お付きの者たちを殉死させるというしきたりは、
クルガン墳墓と共に当時の印欧系遊牧民の間で広く見られた風習なので、
これらの文化と共にワンセットで伝わった、と考えて間違いないと思います。

一方で、当時、中原まで進出した印欧系の数は多くは無かった、
とも思います。
と言うのは、その後に春秋戦国時代となりますが、
これを統一したのが秦の始皇帝であるのは皆さま良くご承知のことで、
この「秦」部族は元々は
中原から西戎(せいじゅう)とも呼ばれていた遊牧民の一つであった、
とも言われてます。
で、始皇帝が死んだあと、巨大な墓地が作られ、
そこから兵馬俑(へいばよう)と呼ばれる当時の秦の兵隊を模した
等身大の焼き物人形が数多く出土しましたが、
これらの一つ一つが当時の秦の兵隊の生き写しでありまして、
それがみんな普通の中国人の顔をしてます。

兵馬俑.jpg色付けされた兵馬俑  ウイキより
口ひげを生やした普通の中国人です。ニイハオ!

たまに「秦の始皇帝は欧州系だった!」的な
センセーショナルなことを書いてるブログに出会いますが、
たぶん、間違ってると思います・・・。