今月のウクライナ-34

今月のウクライナ-1今月のウクライナ-19でお話したカリーニングラード、
バルト海に面するロシアの飛び地ですが、
ここに来てきな臭くなってまいりました!

カリーニングラードは、その昔は東プロシアと呼ばれていた地域であり、
第二次世界大戦後にソ連領となりました。
その後にバルト三国がソ連から独立した結果、
現在ではリトアニアを挟む形で飛び地となってしまいました。
ドイツ時代にケーニヒスベルクと呼ばれていた古都市があるところです。

このケーニヒスベルクから一歩も外に出ることなく一生涯住み続け、
思考に思考を重ねて大作「純粋理性批判」を書き上げたのが、
知の巨人、エマヌエル・カントです。
センセもミッション系の豪徳寺幼稚園を卒園する頃には
四書五経と共に「純粋理性批判」を諳んじておりました。
「ジュニア版-なぜなに純粋理性批判-村岡花子訳」というヤツでしたが・・・。
ウソですけど・・・。

因みに、エマヌエル・カントの奥さんはエマヌエル夫人です。



・・・さて、原印欧語族の第二派が拡散する時代も後期となりますと、
原インド・イラン語から派生したイラン系の連中が勢力を伸ばして
黒海北岸から中央アジア一帯を席巻し、さらに南下して行きます。
結果、追われたインド系の連中はインダス流域の都市国家群に侵入し、
これらをテッテ的に破壊!
ガンジス川に沿って北インドに侵攻~定住することとなります。
追われたドラヴィダ人はさらに南下して先住民らと交雑し、
さらには新たな侵入者のアーリア系文化なども取り入れて、
現在の南インドの文化~風物の原型を作り上げていきます。

イラン系から西に逃れた原印欧の連中は欧州各地に拡散し、
ケルト、ゲルマン、ノルマン、スラブなどに分化していきます。
これが原印欧語族の第三波となります。

この頃、東地中海では「海の民」と呼ばれる雑多な連中が勢いを増し、
エジプト、ギリシャ、アナトリアの古代国家に大攻勢をしかけます。
これがために、さしものヒッタイト帝国も滅ぼされてしまいます!
これらの雑多な「海の民」がどのような連中であったか
はっきりとは分かっていないようですが、
原印欧語族の拡散によって南欧州に先住していた連中が海に押し出され、
定住先を求めて大移動した結果なのではないのか?
と、個人的に考えてますが・・・さて・・・。

海の民.jpg「海の民」の侵入経路:ウイキより
ここでは記されていませんが、エトルリア人など、
イタリア半島やシチリア、サルジニアなどの島々から参加した
印欧語族に属さない連中が多くいたようです。
また、旧約聖書に登場するペリシテ人なども参加とのこと。
現在のパレスチナの名前の由来となった連中です。
この時の侵略の結果、パレスチナ周辺に国家を築き上げ、
後のユダヤ人の最大の敵となります。

因みに、現在のパレスチナ紛争とは全く関係ありませぬ。

海の民-2.jpgエジプト、ラムセス三世のレリーフに描かれた「海の民」との闘い:ウイキより