今月のウクライナ-1

先週のブログでウクライナがきな臭くなってきたと書いたその直後、
やっぱしプーチンはウクライナを攻撃し始めました。
侵攻直前まで「やらないやらない」と言っていた彼ですが、
誰か信じていたヒト、います?
「あ~あ、やっぱりな~」ってえカンジでしたね!

このブログを書いている時点では首都キエフは未だ無事ですが、
陥落は恐らく時間の問題かと思われます。
ことによると、このブログを書き終える頃には・・・
という状況だって大ありです。

センセのブログは
食と健康について多面的に書き連ねていくのが本来の趣旨でありましたが、
少々多面性が過ぎまして、
他分野にまで手を広げ過ぎてしまってます・・・。

時すでに遅し!

ですのでこの際、
この問題に関しても、行き掛けの駄賃で、色々話してみるべいと思います。
どうぞしばらくお付き合いください。

今回の事件からは、センセの世代では、
プラハの春に引き続くソ連の軍事侵攻が思い起こされます。ググって下され。
一つ前の世代では、ハンガリー動乱を思い出すことでしょう。

で、これらの介入は共産主義のソ連によるものでしたから、
1991 年のソ連崩壊以降はこのようなことは起こらない、
と誰しもが思ってました。
事実、崩壊以降はデタントも進み、宇宙では米ロ協調路線が見られるなど、
過去何十年にもわたって続いてきた東西冷戦の緊張関係が一気に和らいで、
当時、世界中の人々は安どの息をついたものです。本当に・・・。

ところがその後にプーチン政権が誕生し、
ロシアは再び昔のソ連の轍(わだち)を歩むのか?
と危惧される状況です。

プーチンは何を考えているのか?
何が彼をそうさせているのか?
ロシア人はなぜ彼を選び続けているのか?
今回の問題の本質はここにあると思います。



ソ連が崩壊した時のソ連邦の代表が、
あのイギリスのサッチャー首相がメロメロだったゴルバチョフ書記長です。

日本を含む西側諸国から見ると、
ゴルバチョフ書記長は聡明かつ自由な精神の持ち主で、
世界冷戦を終わらせた立役者の一人であり、
20 世紀の英雄の一人であるのは間違いない!
とまで感じられますが、
ロシアの人々にとって、彼は全く人気がないだけでなく、
ある種の裏切り者としての評価を下すヒトも少なくありません。

何故か?

1. 当時の大国の一つであったソ連邦を解体してしまった張本人だから。
2. その後のエリツィン大統領時代の経済的大混乱を招いた根本だから。
3. ロシアマフィアや新興財閥が台頭して政治家と癒着を深め、
  一般民衆との間に大きな経済格差が生じたから。

などなどなど、代表的な理由かと思われます。
ここら辺の事情は (特に当時の一般市民の日常的事情は)、
2015 年のノーベル文学賞を受賞したベラルーシの女性ジャーナリスト、
スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ氏の著作である
「セカンドハンドの時代」に詳しく描かれています。ご一読を!

プーチン氏は、これらの諸問題を力づくで解決した、
あるいは解決したと見なされているために、
少なくとも登場した当初は、
多くの国民の間でほぼほぼ絶対的な支持を獲得しました。

ロシアの国力は回復し、
一般市民の経済も安定するようになると、
西側諸国も自分たちの経済にロシアを組み込むようになり、
「ロシアは昔のソ連ではない。
彼らも我々と同じ価値観を共有する友人じゃないか!」
と感じ始めました。
ここまでは良かったのです!
問題は対外的なところにあります。

ソ連邦が崩壊した後、雪崩を打って、
当時の東側諸国はソ連の軛(くびき)から逃れるかのように、
自国の共産主義政権を打倒して民主主義政権を打ち立てました。

東側の軍事同盟であったワルシャワ条約機構は崩壊し、
多くが EU と NATO への加盟を果たし、
ロシアにとって、かつては一枚岩であった(と見なされてきた)国々が、
あっと言う間に自国に牙をむく(と見なされる)状況となったわけです。

それだけではありませぬ。

崩壊によってこれまで連邦であった国々の多くが独立し、
おかげでこれまで全く聞いたこともなかったような国名が次々と誕生したため、
当時、地理を選択した受験生は多くの国名とその首都を暗記する必要に迫られ、
ことさらに苦労することとなったのです!
これはどうでもよいけど・・・。

エストニア、ラトビア、リトアニアの、いわゆるバルト三国が独立した結果、
カリーニングラードのようなロシアの飛び地が生じてしまいました。

飛び地って、歴史的に見ても紛争の種です。

これらの国々がワルシャワ条約機構を離れ、NATO に加盟することに対しては、
ロシアは自国の安全保障に対しては西側に大きく譲歩した、
との強い思いがあります。

これに傷口に塩を塗るかのように、
当時のブッシュ政権はロシアを弱体化した国家とみなし、
ある種のミサイル制限条約を一方的に破棄するだけでなく、
欧州に新式のミサイル防衛システムを導入し始めました。

当時、センセは、
「あんましロシアを追い込むんじゃないよ。
そのうち窮鼠猫を噛むの状況をつくりかねないぞ!」
などと感じたものですが、
現状、それが現実化した、とも言えるわけです。

さらに加えて、チェチェンなど、
分離独立思想に鼓舞された国内の少数民族によるテロが頻発し、
これに対して国民が強いリーダーを求めるようになります。

このような分離独立派の思想の背後には西欧型リベラリズムがある、
というような認識を、
ロシアは(あるいは中国も)抱いているフシが感じられます。

欧州大陸の歴史は戦争の歴史でもあり、
特に近代史におけるロシア、あるいはソ連は、
相当程度にコテンパンに侵略された過去を有する国です。
ナポレオンによる侵略を皮切りに、
第一次世界大戦の共産革命時の介入戦争を経て
ヒトラーによる残虐な侵攻を経験したソ連は、
自国の西方に強力な緩衝地帯を設ける必要性を強く感じるようになりました。
これがソ連崩壊前の東欧諸国の共産化として結実しました。

ロシアの立場としては、ソ連崩壊後の状況は、一気に身ぐるみはがされた、
いわば因幡の白兎のような思いだったのではないのでしょうか?

一方で、
ン十年にもわたって首根っこを押さえられた状況を強いられてきた
東欧や北欧諸国の立場から見ると、
自分たちこそがロシアによって長年にわたっていじめられてきた犠牲者である、
と感じるのは当然です。

ソ連が東欧諸国をワルシャワ条約機構に留めておくためには
強力な軍事力を行使する必要があったこと自体が、
これらの国々が自発的にソ連の勢力下に参加していたのではないことの証です。

また一方で、
今回のウクライナのように、
歴史的にも民族的にも言語的にもロシアと近しい国に関しては、
少し事情が異なると思います。
これは隣国のベラルーシにも言えることです。
ウクライナにせよベラルーシにせよ、基本、文字通り、ロシアの兄弟国です。

ドイツの機甲軍団が電撃的にソ連領内に進攻した時に真っ先に蹂躙されたのが、
当時白ロシア(はくロシア)と呼ばれていたベラルーシです。
ベラが白でルーシがロシアです。
モスクワ前面まで一気に侵攻したドイツ軍ですが、
ヒトラーの気が変わり、
南方に転じてウクライナに進攻します。

これらのナチスドイツの東部戦線における戦闘状況に関しては、
パウル・カレルやリデル・ハート、
あるいはグーデリアンやクルト・マイヤーの著作を読むとヨロシ!

これらのドイツ国防軍の侵攻後、
ヒムラーを首領とする SS 部隊が進駐して
とんでもない状況が生まれるわけですが、
これに関してはティモシー・スナイダーの
「ブラッドランド・上下」を読むとヨロシ!

これらの状況から、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの三国は
共通した敵と戦った同士~戦友と言ってもよい関係ではあるわけですが、
そう単純なものでもないわけです。
それは、
レーニンとスターリンによって遂行された共産主義革命による悲劇です。
これも「ブラッドランド」に詳述されているので読んで下され!
特にウクライナの場合、
開戦初期にはドイツ側についてソ連軍と戦った連中も多くいたのです!


こういう歴史的な経過があるので、
少なくともウクライナの場合、
ロシアに対しては愛憎相半ばする感覚なのかな?
と個人的には思ってます。
そうであれば、東ウクライナのドンバス地方あたりの
ロシア系住民がロシアを支持するのは分かりやすいですが、
ことによると、
ウクライナ系住民の間でも必ずしもロシアに対して一枚岩ではないのでは?
ウクライナの政治情勢もこれまでにずいぶんと混迷してきたわけですが、
混迷の原因の一つとして、ロシアに対する距離感~温度差があるのでは?
と個人的に考えてます。

今回からタイトルを「今月のウクライナ」に変更します。
ウクライナの状況次第ですが、しばらく続く予定です。
ですので「今月の書評」シリーズは一時休止!

ヨロピクお願いいたします。