今月のウクライナ-27

背中の痛みをこらえつつ、1 日中のブログ書きです。

縄文人の「過去ログ」の中で、
シベリア・バイカル湖のほとりのマリタ遺跡から
2 万 4000 年前の人骨が見つかり、
mtDNA (ミトコンドリア DNA )を解析したところ、
欧州系であることが分かったことから、
アイヌ・縄文人の中央アジア~シベリア経由説は否定された、
というお話をしました。

マリタのmtDNA U タイプで、同系に属するものが
ウクライナにほど近いロシア・ヴォロネジ州の
コステンキ遺跡から発掘された人骨からも見つかり、
これはおよそ 3 万 6000 年くらい前、と判断されました。

両者ともに、マンモスや毛サイを狩猟しながら暮らしていたようです。
マンモスの骨で作ったいわゆる「ヴィーナス像」も発掘されてますが、
両者ともにそっくりです!
コステンキ遺跡の方が古いことから、
ここからさらにシベリアに向かって移動していった人々がマリタ遺跡を残した、
と考えられます。

コステンキ遺跡.jpg
衣服を縫う「針」を発明したのが彼らであるのかどうかは知りませんが、
氷河期の真っ只中、マンモスや毛サイの皮を利用して
防寒服を作製していたのは間違いのないところです。
また、縄文人の「過去ログ」の中でもお話したように、
旧石器の中でも最新式である細石刃(さいせきじん)の技術は、たぶん、
彼らによってアイヌ人に伝えられたと個人的には考えてます。
但し、アイヌのご先祖様はマリタ人とは直接接触していないと思います。

一方で、アジア大陸の南ルートから北上し、その後にベーリング海峡を渡って
アメリカ大陸に到達した連中、いわゆるインディアンですが※、
彼らとマリタの連中とでは遺伝子の混入が認められています。
従いまして、
インディアンのご先祖が未だアジアに居たころアイヌのご先祖と接触し、
その時に彼らから細石刃を教えてもらったのじゃなかろうか、
と、個人的には考えてます。

※インディアンに特徴的な YDNA のハプロタイプは Q ですが、
これはおよそ 2 万年くらい前に、現在のイラン~アフガニスタンあたりで
ハプロ R から派生したと考えられているので、
インディアンの祖先の主部分は南アジアから北上したのではなく、
大動物を追いながら
中央アジアを横切ってシベリア~北アメリカに移動した可能性が高いです。
北アメリカインディアンにはハプロ C2 も認められるので、
シベリアのどこかで南から来た C2 と混じたか、
あるいは Q に遅れて C2 がベーリング海峡を渡ったか、
のどちらかが考えられます。
詳しくは「今月のウクライナ-100」で述べてます。

で、このマリタやコステンキの mtDNA のハプロ U ですが、
今月のウクライナ-23」で述べたアフロ・アジア語族に広く認められ、
チェダーマンも持っていたハプロタイプです。
1 万 3000 年くらい前にスイスに住んでいたクロマニヨン人も持ってました。

となりますと、以下のような経路が考えられます。

1) 北アフリカやエチオピア辺りからパレスチナ方面へ向かった連中が居た。
2) 中東で一つのたまり場ができた。
3)そこからアナトリアを通って西に向かった連中と、
コーカサスを抜けて北に向かった連中が居た。
コーカサスの山々は氷河で覆われていたが、
カスピ海の水は今よりも少なかったので、海岸線を通って行った。
4) コーカサスを抜けると、そこは見渡す限りの草原であった。
マンモスや毛サイがうじゃうじゃ居たのだ!
5) 寒いけど我慢しながら色々工夫して、マンモスを追っていった。
6)気が付けば、シベリアの最果てまで来ていた。
「思えば遠くに来たものだ・・・」と、彼は思った。
その地で、未来のインディアンとお友達にもなった。

で、チェダーマンとは違って極寒の地に数万年も住んでいたわけですから、
さすがに色々と形質の変化も生じていた可能性があります。
で、マリタ遺跡から出土したマンモスの骨で作ったヴィーナス像があります。
もはや消されかかっている「みなしごサイト」
みたいなところから拾ってきた画像なので、
以下、著者への言及なしに載せても大丈夫だと思います。

マリタ-1.jpgマリタ-2.jpgで、これを見ると、明らかに
現代の欧州人の特徴が認められます。
特に鼻根部です!
欧州人の高くそびえる鼻っぱしら
ですが、
寒冷な空気を温める役割
指摘されてます。

この像(女性です)をよく見ると、
隆起した鼻根部と共に、
広がった鼻の先端部が共存している
ことに気づきます。
素直に解釈すれば、
現代欧州人の鼻の形成途次と見なす
こともできようかと思います。
髪型も、ドレッドみたいです。
縮毛からウエーブ~直毛への途次
かも知れません

高くそびえる鼻っぱしらと言えば北米インディアンのワシ鼻が有名ですが、
先に述べたように、インディアンとマリタ人との接触は確実です。
加えて、シベリアからベーリング海峡を渡りアラスカに至る途次において、
彼らのワシ鼻が重宝した可能性もあります。

シッティングブル.jpgカスターの第七騎兵隊を壊滅させたスー族の勇者、シッティング・ブルの写真
ワシ鼻で、赤銅色の皮膚と北東アジア人特有の高い頬骨を持つが、
蒙古皺襞(もうこしゅうへき)と突顎(とつがく)は無く、
少ない体毛と薄い唇を持つ。髪は直毛。
個人的には、台湾先住民の、とある部族の一人、を連想させます。ウイキより

※プーチンとケマール・パシャとマンネルヘイムとシッティング・ブルと、
にらめっこさせたら本当に誰が勝つかな?


で、これで問題解決か!と思いましたが、
よくよく考えると、ナカナカそんな単純なものでもなさそうです。
と言うのは、
古代中東の連中もまた立派な鼻っぱしらを持っているからです!
シュメールの数々の壁画、レリーフ、石像などの顔立ちは、
現在のご当地に住まわっている方々とあんまし変わりがありません。
アッカドの王、サルゴンの青銅像が出土してますが、
立派な髭と隆々と聳える(そびえる)鼻を有してます。

サルゴン.jpgアッカド王、サルゴン。 ウイキより
ドレッド髭の可能性あり!


モヘンジョダロの神官と呼ばれる像もそうです。
一方、同じモヘンジョダロから出土した青銅製の踊り子像は、
むしろインド先住民の特徴が現れているようにも見えます。

モヘンジョダロ 神官.jpgモヘンジョダロの神官の像 ウイキより

モヘンジョダロ 踊り子.jpgモヘンジョダロ出土の踊り子の像 ウイキより
彼女の髪も、ドレッドの可能性があります。
束ねたドレッド、です。
痩身、相対的に長い手足、ドレッドなど、
古事記や日本書紀などで描かれている「土蜘蛛」を想起させます。


古代中東~インダス文明ともに、少なくとも初期~最盛期においては、
北方から到来した印欧語族の影響はほとんどなかったはずです。
エジプトの古王朝もそうです。
中東~インダス~エジプトいずれも極寒の地とは程遠い気候ですから、
そうなりますと、「立派な鼻っぱしら」もまた、
農耕~牧畜が発明された中東地域で揺籃された形質なのでしょうか?
仮にそうであるとしたら、
咀嚼力の低下 → 顎と歯の縮小化 → 顔面の力学的変化 → 鼻根部の隆起、
という関係があるのでは?
モンゴル人に代表される東アジア人などはこの流れに乗っていませんので、
この流れに寒冷~温暖~湿潤~乾燥などの気候の影響その他が加わって、
最終的に現代人の顔立ちが形成された、ということなのかも知れませぬ。

本当に興味が尽きませんね!