今月のウクライナ-198

プーチン氏、キンペー詣で(もうで)のみならず、
キムくんにも愛想を振りまく!
ついでとばかりにベトナムにも!!
喜んだキムくん、「同盟だ同盟だ!」と周囲に吹聴してますが、
いや、プーチン氏、さすがにそこまでするつもりはない。
風船にンコを詰めて飛ばしっこしている北と南ですが、
そんな次元の連中に貴重な兵隊を送るはずがない。
従来通り、
「弾薬の件、よろしくお願いしますよ。
そんで、打った後でちゃんと爆発するヤツを送ってくださいよ。
2 メートル先に落ちて爆発するヤツだけはカンベンしてくださいよ。
ホント、大変なんですから・・・。」
くらいのお願いだったのであろう。
ベトナムに関しては、
ベトナムの首相:「確かに昔は世話になったが、
今の時分に来て「昔は友人だっただろ?」とか言われても・・・。」
などと思っていることであろう。

ネタニヤフ氏も四面楚歌状況に陥りつつある。
大物閣僚の一人であったガンツ氏とケンカ別れ。
加えて、イスラエル軍のスポークスマンの話だと、
軍の指向と首相のそれとはどうやらベクトルが異なるようだ。
首相、ユダヤ教最右派の連中と心中する気なのだろうか?
今回のガザ侵攻作戦であるが、
当初はイスラエル軍、鎧袖一触の勝利だと考えていたが、
民間人を人身御供として捧げ続けるハマスのしぶとさに、
いつ、どのような形で終わるのか、予想がつかない。
非常に悲惨な終わり方をするような気もする・・・。
あまり想像したくはないが・・・。


さて、靺鞨(まっかつ)です。
今月のウクライナ-89」でお話した則天武后
最近では武則天と呼ばれることが多いですが、
彼女が建てた「周」の国(武周と呼ばれます)の羈縻政策(きびせいさく)が
文字通り厳しかったため、
羈縻州に移住させられていた契丹の連中が反乱を起こします。
この契丹の暴動に乗じ、
粟末靺鞨の酋長、乞乞仲象(きつきつ・ちゅうしょう)という男が蜂起!
高句麗の残党と共に東に走り、唐(武周)に背きます。
一旦は許した武則天ですが、その後、これを攻め、
乞乞仲象は首を刎ねられてしまいます。
乞乞仲象の息子の大祚栄(だい・そえい)※はさらに逃げ、
高句麗の残党や粟末靺鞨部の連中を率いて反抗し、698 年
周辺部族を統合して(しん)という名の国を立ち上げるのに成功します。
短命の武周が倒れて玄宗皇帝が立ち上がると、
713 年、大祚栄は唐に入朝して和解を求めた結果、
玄宗皇帝はこれを認め、大祚栄は渤海郡の王に冊封されることとなりました。
※オヤジの名前が乞乞仲象という靺鞨人の名前ですから、たぶん、
唐に認められたのちに「大」という姓をもらったのだと思いますが・・・。

東アジア C2-5.jpg8~9 世紀ころの渤海  センセによる

大祚栄は以降、靺鞨の名称をやめ、
自らを渤海(ぼっかい)国と称するようになりました。
息子の大武芸(だい・ぶげい)は独立色を打ち出して唐と対立しますが、
大武芸の息子の大欽茂(だい・きんも)の時代になると唐に恭順し、
唐文化の流入を積極的に推進して中国化が進みます。
ここら辺の展開はどの国も同じですね。
何だかんだ言って「文化は高きから低きに流れる」ということです。
これらの政策を評価した唐は大欽茂に「渤海国王」の称号を贈り、
渤海はこれまでよりもさらに高い地位に冊封されることとなります。
郡から国への昇格ですね。
国力も順調に増して行き、
その後には海東の盛国などと呼ばれるまでになりました。