今月のウクライナ-197

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さて、いち早く古代国家形成を成し遂げたツングース-2 系に対し、
黒竜江下流から沿海州にかけて広く薄く展開していたツングース-1 系の連中は、
厳しい気候風土にもめげず、
狩猟や漁猟、トナカイの飼育に加えて農耕も行い、犬~ブタも飼い、
土で作った穴倉のようなる住居に穴居し、
おしっこで顔を洗う生活を送っておりました。
おかげで体が鍛えられたのでしょうか、
弓矢の扱いに優れるなどしてナカナカに勇猛な戦士となり、
勿吉(もっきつ)と呼ばれるようになる 5 世紀のころには
ツングース-2 系の雄、扶余を滅ぼすまでになりました。

その後、のころには靺鞨(まっかつ)と呼ばれるようになります。
どうぞ「今月のウクライナ-195」の図 ↓ をご覧くだされ。

靺鞨には有力な部族が 7 つあり、
中でも北の黒竜江下流部に居た黒水靺鞨(こくすいまっかつ)と
南部に居た粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)が強力でした。
で、粟末靺鞨の首領に突地稽(とちけい)という名のオトコがおりましたが、
中国文化にあこがれて隋に朝貢した結果、
時の皇帝、煬帝から認められ、これに服属するようになります。
唐に時代が変わると唐に朝貢して燕州(えんしゅう)の総監に任命され、
さらに唐の皇帝の要望に応えて突厥を攻めるなどして点数を稼いだ結果、
右衛将軍の座を仕留めるのみならず、
唐の創始家である李氏の姓を賜るまでに出世を果たします。

大体こういうカンジで周辺部族の連中は中国化していって
名前なども中国風に変わっていきます。
新羅なども元々は
エヴェンキ由来の名前を名乗っておりましたが、
途中からキムとかパクとかに変わっていきます。

粟末靺鞨の髪型.jpg
粟末靺鞨族のオトコの髪型  
中国のナントカ百科より無断でお借りしました。謝謝!
この髪型、そのうちご紹介する契丹の連中の髪型とよく似ています。
ロシアのコサックの中にもこのような髪型をした連中がおりますが、
これはモンゴル支配の影響によるものだと思います。
ということは、清朝の弁髪も含め、
このような髪型は当時の C2 系男子の習慣~流行だったのでしょうね。
ただし、突厥など、トルコ系の連中の髪型とは大きく異なります。

で、突地稽の息子の李謹行(り・きんこう)の時代になると
唐・新羅連合軍による高句麗征伐にも加わって
高句麗滅亡に功を立てることとなります。
この時、同じ靺鞨ではあっても北方の黒水靺鞨は高句麗側に立ち、
唐・新羅・粟末靺鞨の連合軍と戦いますが、
その後の 8 世紀には、黒水靺鞨も唐に服属するようになります。
高句麗滅亡に貢献した李謹行は引き続いて大陸内陸部に転身し、
676 年にはチベット系の強大国家、吐蕃打ち破るなどして大活躍!
ここに靺鞨は、一躍、極東アジアにナカナカの存在感を示す部族となりました。

この粟末靺鞨から 7 世紀末渤海国が生まれ、
12 世紀には、黒水靺鞨から国が生まれてきます。
おしっこで顔を洗っている場合ではなくなってきました!