今月のウクライナ-199

アメリカの次期大統領候補による討論会が終了しました。
で、これまで様子見を決め込んできた日本を含む各国ですが、
大慌てでトランプ対策を具体化し始めることでしょう。
EU 議会の選挙結果は御覧の通り。
さらにはフランスの選挙もじきに投票ですが、
アメリカではトランプ、欧州は右派、の構図が出来上がりつつあります。
一方のわ~くにでは東京都知事選がたけなわですが、
外苑の木を切る切らないで国論が二分しております WWWWWW!

外ではトンビがぴ~ひょろ鳴いてます・・・。

それにしても米国民主党、ホントに人材が払底しているようで・・・。

渤海.jpg最大版図を誇った 9 世紀ころの渤海  ウイキより
この時代には文字通り「渤海」に面してます。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=118414984による

さて、渤海です。
粟末靺鞨(ぞくまつまっかつ)の首領様であった乞乞仲象
(きつきつ・ちゅうしょう)が高句麗の残党と共に打ち立てたのが渤海ですが、
この時代の東アジアの国々は、倭を含め、我も我もと隋~唐に朝貢し、
中国文化の輸入に勤しみます。
印象的には、物質文化の移入というよりも、むしろ、
律令制などの政治体制のあり方に魅了されていたようなカンジがします。
倭国なども、魏志倭人伝などに記載されているように、
多くの小国による戦乱がヤマト政権の下で平定相成り、
古代国家形成の歩みが始動し始めると、
やはり国家をまとめ上げる仕組みづくりが最重要課題となってきた、
ということなのでしょうね。
このような時には制度と共に必ず文化も付随して流入しますので、
後代の歴史学者としては、時代区分を設けるのが容易いかと思います。
日本ではムシゴメの頃に一回、
幕末に一回、
そして先の大戦で負けた後に一回、
というカンジ。
で、文化は「高き所から低きへと流れる」という物理学の法則に従いますので
流入した文化は従来の文化に大きな影響を与える形となりますが、
必ず反動が生じてワサワサし、紆余曲折の後、均衡して、新たな文化が生じる、
その新たな文化が時代を経ることにより新たな伝統となる、
の繰り返しですね。
高句麗も渤海も百済も新羅も倭国も
みな揃って中華の文化に大きく影響されましたが、
それぞれの従来の習慣~文化と混じることにより、
各国独自の色を打ち出していきます。
基本、中国の影響力は距離に反比例しますので、
日本の文化は東アジアの中では最も中国色が薄いと思います。
これまで見てきたように、
色んな民族が中原の覇を争う時代においては
中原に打ち立てた国々の名前は揃いも揃って晋だの魏だの周だの
同じような中国風の名前が次から次へと出てきます。
混乱するので、北だの南だの西だの東だのその他だの、
後代の歴史学者は色々な形容詞をつけて区別しようとしますが、
世界史を選んだ現代の高校生は混乱の極みに陥って、
「やっぱし日本史や地理を選んでおけばよかった~」と
後悔するのも青春ですね!

で、ヒトの名前も中国風になっていきます。
基本、朝貢して中国の皇帝から姓をもらう、
それが名誉であると同時に威信(いしん)ともなる、
ということで、
高句麗~渤海~新羅などの王も、当初は本来の名前を名乗ってましたが、
そのうちに中国風に変わる。
中国との朝貢貿易の必要性から、少なくとも支配層においては、
漢語の知識が必須となってくる。
元々独自の文字を持っていなかったから、少なくとも当初は、
読み書きに漢字を使用する。
宗教としては、これまでのアニミズムやシャーマニズムから
ありがた~いお釈迦様の宗教を採用する。

このように、
東アジアの古代国家はどれもこれも似たような経過をたどりますが、
大陸と陸続きでない我が国においては上記の傾向は一段薄く、
例えば名字においては中国色は皆無で、
過去ログでも指摘しましたが、
地名なども訓読みのものが大部分です。
一方の朝鮮半島ではキムくん、パクくん、リーさんなどが大部分、
加えて地名も、ソウルを除き、音読みのものが大部分です。
日本の天皇においては神武とか聖武とかは諡(おくりな)で、
あれは名字ではありませぬ。
そもそもが天皇家には名字はありません。
興味深いですね!

で、渤海国ですが、
何とかいっぱしの文明国になろう!と考え、
一生懸命に中国文化を取り入れていきます。
一方で北方の黒水靺鞨、西の契丹、南の新羅とは争いの日々。
基本、唐にはヘ~コラしているのですが、
時折反抗したりして自尊心を保とうとします。
で、何かと目障りな南の新羅。
これを南北から挟み撃ちで懲らしめようと画策し、
日本に使者を送るようになります。

これが当初の渤海使(ぼっかいし)の目的で、
結局わ~くにに袖にされて本来の目的は達成できませんでしたが、
通商目的、後には密輸貿易目的に変わり、
何だかんだ言って 727 年から 922 年までの間に 35 回も続くことになります。
日本もまた返礼的に渤海に使者を送りますが、
これは遣渤海使(けんぼっかいし)と呼ばれ、
728 年から 811 年までの間、14 回続きます。