今月のウクライナ-158

さて、正統カリフの 4 代目としてアリーという名の人物が登場しますが、
彼はマホメットの数多い従兄弟(いとこ)の一人であるだけでなく、
子供の頃はマホメット夫妻に育てられ、
さらにはマホメットの娘と結婚しますので、
義理の息子という関係でもあります。
要するに、マホメット家に非常に近い人物でした。
けれども彼をカリフとして頂くかどうかに関して
信徒の間で熾烈な内紛が生じ、
色々なゴタゴタの中で、アリーは暗殺されてしまいます。

「アリーに血統的に繋がる人々こそがイスラムの代表であり、
指導者(イマーム)である」と考える人々がシーア派ですが、
シーアという言葉はそもそも「派」の意味であり、
本来は「アリー派」と呼ばれていたわけですので、
シーア派と言えば「派・派」ということになり、可笑しいわけですが、
でも日本ではこれがすでに通称となっているので、
これはこれで構わないと思います。ハハハハ。

このような争いの中から台頭してきたのが
ウマイヤ家出身のムアーウィヤという名のオトコで、
シリアのダマスカスを根城にアラブ駐屯軍を指揮して内紛の終息に成功し、
西暦 661 年、正式にカリフとして認められます。
一応、歴史学的には、この時にウマイヤ朝が成立、ということになってます。
要するに、
その後に死期が近づいた彼は後継のカリフとして自分の息子を指名しますが、
世襲により権力の維持が図られる政体のことを「王朝」と呼びますので、
ウマイヤ朝の名が冠せられるわけです。

しかしながら、
神の使者たるマホメットの教えを紐帯として戦ってきたイスラム教団ですので、
「世襲なんぞとんでもねーだ!」という輩が現れるのも当然です。
で、各地に自称カリフが台頭して、
アラブは再び内乱の渦に巻き込まれることとなりますが、
ウマイヤ家のカリフはメッカとメディナを拠点としていたカリフ一派を攻撃し、
これを掃討することに成功!
イスラム教誕生の地であるメッカとメディナは灰燼と化し、
カーバ神殿も焼け落ちますが、
後でちゃんと建て直したことは言うまでもありません。
ウマイヤ朝は、ここに漸くアラブ統一を成し遂げ、
政治的に安定した時代が中東の地に到来しました。

マホメットから正統カリフの時代はひたすら戦いに明け暮れる日々でしたが、
ウマイヤ朝のもとで統一成ったアラブは、
もはやボロをまとった遊牧民の集合体というわけにはいきません。
征服地には数多くの異教徒もおりますし、
各地に拠点を持つイスラム軍団を束ねていかなくてはなりませんし、
税収確保のためにはさらなる領土拡張を続けていかなくてはなりません。
このような目的を達成するには、
これまでのようなイスラム教によって結びついただけの組織、
すなわち教団=共同体(ウンマ)、
でのみ通用するような単純な政治形態からの脱却が必要となります。

要するに、一気に強大となって
多くの他民族を領内に抱えることとなったイスラム国は今や「帝国」であり、
カリフは「君主」ということになりますので、
官僚制や独自通貨の発行、公用語としてのアラビア語の普及など、
領地を安定的に統治する行政手法を確立する必要性が生じてきました。
新たに生まれたイスラム帝国ですが、
ローマやペルシャという優れた「お手本」があったおかげで
まずは彼らの官僚制度を踏襲し、発展させていったようです。

ウマイヤモスク.jpgダマスカスのウマイヤ・モスク  ウイキより
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入り口の柱に並んでいるのはコーランの自動販売機、
ではなさそうです・・・。

現在でも使用されているモスクの中で、最も古いものだそうです。
(ウイキより引用)