このような経緯の後にユダヤ人は各地に離散していきますが、
実のところ、ディアスポラ以前にも、地中海沿岸には既に
ユダヤ人商人によって多くのコロニーが作られておりました。
ローマによって滅ぼされたフェニキア人のカルタゴですが、
生き残ったフェニキア人は
当地のユダヤ人によってユダヤ教に改宗したと言われてますし、
エジプトのアレキサンドリアには
当時最大のユダヤ人共同体も存在しておりました。
これらのユダヤ人共同体を核として初期のキリスト教が普及していった、
とも言われてます。
ディアスポラ後には、
南下してアラブの地に移動する者あり、
エジプトや北アフリカ沿岸に移動する者あり、
今やパレスチナとなった現地に留まる者ありと様々です。
現地に留まってその後にイスラムに改宗し、
アラブ語を話すようになった人々も少なからずいたと思います。
従いまして、現在のパレスチナにおいては
イスラエル人とパレスチナ人との争いが絶えませんが、
この中には、
実は由緒正しいユダヤの血統を有するイスラム教徒のパレスチナ人と
古代ユダヤ人とは縁もゆかりもないユダヤ教徒とが争う局面も考えられます。
歴史のアイロニー、とも言えますし、
単なる言葉の定義上の問題、とも言えるでしょうし、
そもそもが「現在のパレスチナ問題は宗教とは無縁である!」、
とも言えるでしょう。
で、ローマ軍の捕虜~奴隷として
ローマ帝国内に連れていかれた人々も多くおりましたし、
また、自らの意思で帝国領域内に移住していった連中も居たと思われます。
ユダヤの地を徹底的に滅ぼしたローマではありましたが、
未だキリスト教を国教として認めていない多神教時代のローマにおいては
ユダヤ教に対しての信仰的敵対心などは持ちようがなく、
これらローマ帝国内に移住したユダヤ人には普通に市民権が与えられ、
ユダヤ教の信仰や職業の選択の自由もあったようです。
ユダヤ戦争時に従軍したローマ軍兵士には
報酬としてユダヤ人の女性を奴隷として与えられ、
結果、子供も生まれるわけですが、
生まれた子供はユダヤのしきたりに従ってユダヤ人、
ということになります。
結果、他民族との混血も増えていきます。
イベリア半島などにも多くのユダヤ人が入植しますが、
北方に向かった一団はライン川沿いに集落を形成し、
ブドウ栽培などに勤しみました。
最終的に、ローマ帝国の版図内の各地に多くのユダヤ人集落が形成され、
農民、商人、職人などとしてごく普通の生活を送る形に落ち着いたようです。
現地で生活していくためには
当然現地の言葉を話す必要に迫られるわけですが、
結果、自分たちの言葉と現地語との混合も各地で生じることとなりますし、
ユダヤ教を介したネットワークもあるわけですから、
これらの条件はユダヤ商人たちにとって有利に働いた、とも考えられます。
ライン川周辺に移住したユダヤ人から見れば、
文化的にも先進地域であった中東から
当時は地の果てであったローマ帝国北方域に移住したということですから、
彼らにとってはゲルマン部族は相当に野蛮人に見えた可能性も大いにあります!
このような状況は、その後、ローマがキリスト教を国教として受け入れ、
さらにゲルマン民族が南下してきてキリスト教の狂信者となるにつれて
大きく変貌を遂げていきます。
ライン川沿いのローレライ ウイキより
心がわびますね・・・なじかは知らねど・・・。
作者のハインリッヒ・ハイネはユダヤ人でした。
学生時代、自らの意思でクリスチャンに改宗しますけど、
その結果、自らのアイデンティティーが宙ぶらりんとなり、
いつも心がわびていた、のでしょうか?
なじか分かったような気がします。
沿岸の丘陵には、
かつてはユダヤの農民によるブドウ畑が点在していた、とのことです。
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