今月のウクライナ-105

さて、肝心のウクライナは現在どうなっているのでしょうかね?
さっぱり情報が入ってきませんが・・・。
例の春季大攻勢の準備は進んでいるのでしょうか?
対するロシアはセンセの教えに従って
幾重にもわたる堅忍不抜の対戦車壕の構築に余念がないように思われます。

ある種、不気味な静けさです。

さて、突厥を滅ぼしたトグズ・オグズのウイグル可汗国ですが、
当初は唐とも良い関係を維持するだけでなく、
単純な遊牧民の集合体以上のしっかりとした体制を作り出し、
突厥文字やソグド文字の影響を受けて独自の文字を生み出し、
宗教としては従来からのシャーマニズムを捨てて
キリスト教や仏教の影響を受けて成立したマニ教を信仰するなど
文化的にもナカナカ立派な国家を作り上げることに成功しました。

これが北方のキルギス族の猛攻を受け、滅亡してしまいます。
西暦 840 年のことです。

ウイグルの滅亡.jpg9 世紀頃の状況。
トグズ・オグズは分散し、一部は唐への帰順を求めるが、
唐はこれを拒否!消滅のやむなきに至る・・・。
一方で一部は吐蕃方面を目指して甘州ウイグルとなり、
一部は西走して天山ウイグルとなり、
一部はさらに西走してカルルクに吸収される。

このようにしてトルコ系のウイグル人が故地より拡散して行くわけですが、
この時、他のトルコ系の連中の多くもまた、
ところてん式に西方に押し出されていきます。
その結果、もともとは欧州系の地であった中央アジアは
今やトルコ系の連中が数多く住まう土地となり、
トルキスタン=トルコの土地、という名称で呼ばれるようになりました。

で、ウイグル族を追いやったキルギス族ですが、
これがなかなかユニークな連中で、もともとは欧州系の部族です。
彼らの YDNA のハプロタイプは、
現在ですら R1a60% 以上を維持しています。
R1a ということは、元はイラン系かと思われます。
ということは、ことによると、サカ~スキタイの末裔の可能性もあるかと、
個人的には妄想してしまいます。
そもそもはモンゴロイドであったが、
その後にイラン系が多く住む地に移住した結果
R1a が優勢となった可能性も無きにしも非ずではありますが、
中国の歴史書にも欧州系の特徴であったと記されていることから、
やはり、もともとは欧州系の連中だったはずです。

古くはバイカル湖畔辺りに住んでいたわけですが、
その後、ジンギスカンのモンゴル族に従属した結果、
現在のカザフと中国に挟まれた地域に住まう形となりました。
現在のキルギス人は、従いまして、
モンゴル系と欧州系の混合的な顔立ちとなってますが、
本来的にはゴリゴリの欧州系だったと考えられます。

で、言語としてはトルコ語を話してます。
キルギス族がいつ頃からトルコ語を話すようになったのかは分かりません。
バイカル湖周辺で生活するためには
周りのトルコ系の連中と上手くやっていかなくてはならないため
その頃にトルコ語を取り入れたのかも知れませんし、
あるいは比較的新しいのかも知れません。
いずれにしましても YDNAR1a の多くを維持しているということは、
言語や宗教などの表層的な文化を変えつつも、
部族の父系としての血脈的なまとまりは、
今に至るまで維持されてきたことを意味します。

この点、「今月のウクライナ-99」の図に登場するヤクート人と同じです。
ヤクートの場合は遼河文明の N 系ですが、キルギスの場合は R1a です。
両者ともにトルコ部族の影響により、トルコ語を自らの言語としています。

現在ではキルギス人はイスラム教を信仰し、
言葉はトルコ語を話し、
顔立ちは欧州系とモンゴル系の混合的であるなど、
多かれ少なかれ、中央アジアの他の民族とあまり変わらないカンジですが、
この地域の数多くの民族の由来を調べていくと、
そのそれぞれが誠に多彩な過去を有していることに驚かされます。

これは現在のコーカサス山脈に住まう数多くの民族にも適用されます。
コーカサスの少数民族の由来を見ていくと、
このブログで過去に登場したアランとかフンとかアヴァールとか、
あるいはその他その他その他とか、
こういう連中の末裔であると思われる連中がゴロゴロいるようです。

みんな顔立ちはすでにどれも似たようなカンジにはなっているわけで、
アジアの東の果ての住民から見れば区別なんぞは全くつきませぬが、
一旦連中がしゃべりだすと一つ一つが全く異なるということで、
これらが北はロシア、南はイランとトルコに挟まれて身動きも取れず、
なるほど紛争が絶えぬのも無理はアルメ~ニア、
などと考えてしまいます・・・。