今月のウクライナ-99

YDNAC2 ハプロの連中と
言語学的に言うところのアルタイ語族とは重なります。
現在では「アルタイ語族」という形でくくられるような関係ではなくって
アルタイ諸語、というほどの関係が適切では?とも言われてます。
言語学者ではないセンセとしては、そんな細かいところはどーでもいいです。
要するに、「近い関係」であるのは間違いのないところです。

で、そうなりますと、トルコ系とモンゴル系とツングース系の三者は
そもそもは同族であった可能性がありますし、
そう考えた方が自然です。

で、最後の氷河期のあと、
ソリやらスキーやらを発明して、
バイカル湖畔から満州~沿海州あたりでトナカイを飼いならしつつも
シベリアの森林地帯ではシカやらテンやらを狩ったり、
川辺ではマスなどを獲ったりなど、狩猟採集に勤しんでいた連中ですが、
時間が経つにつれてどんどん北方アジア系の形質を獲得すると同時に、
言語的には三つの系統に分化していったのでしょうね。たぶん。

で、しばらくすると、
南の方から言語学的にも文化的にも全く異なる連中が現れて
遼河地域で農耕なるものを開始します。
YDNA のハプロ N を有する連中です。
遥か昔に同族であった ハプロ O の連中が
遼河よりも南の黄河流域で農耕を始めるのにやや遅れ、
より北の地で畑作に勤しみ、高度な文化を形成していきます。
今からおよそ 6000 年くらい前の時代です。

ここら辺のことは、以前に「今月の書評」シリーズでも随分と書きました。
今月の書評-70」あたりから結構長く詳しく書いてますので、
よろしければ、お読みになって下され。

で、農作業に勤しんでいた遼河地方の N クン達ですが、
イノシシやらシカのごとく、
未だ農業を知らない周辺の C2 の連中に畑を荒らされ、
泣く泣く故地を離れてはるか遠く、
地の果てにまで落ち延びていくこととなります。

彼らが落ち延びて行く先がこれだ

N の拡散.jpg真っ先に故地を離れて移動していった連中が向かった先が現在のフィンランド。
たぶん、フィン人の言葉が遼河地方で話されていた言葉に最も近いのでは?
そういうわけでもないか・・・。

その後、
時代が下るとウラル山脈~コラ半島にかけてサモエードの連中が移動。
サモエードの一部はその後さらに西進し、
フィンランド北部に移動してサーミ人となる。

ウラル山脈南部に移動した連中は
歴史時代になってマジャール人と呼ばれ、
その後にハンガリーに移住して教科書的に有名になる。
従ってマジャール人は本来は N 優勢のはずだが、
現在のハンガリー人では N はまれだ。
これは言語が維持されたまま YDNA のハプロが置き換わった例だ。
この先のトルコ系の拡散で広く見られる現象だ。

さらに時代が下ってシベリアのヤクーツクに移動した連中は
すでにトルコ系が優勢な時代を共に過ごしたため、
連中の影響を受けまくってとうとうトルコ語を話すようになった。
でも YDNA 的には N のままだ。
すなわち、部族的には統一を維持したままトルコ文化を受け入れた、
ということだ。

遼河地方に居残った連中が烏桓(うがん~アファン)。
中国の漢からは東胡と呼ばれた連中の一派だ。
これが柔然となってモンゴル高原を一時制覇したものの、
突厥に追われて西に逃げまくり、
そこでアヴァールとなって欧州でアヴァールまくった!
この連中もまた、N なのだ!

現代でも遼河地方からシベリアに点在する多くの少数民族の間では
多かれ少なかれ N が認められる。
最近の言語学者の間では、
倭人の言語は遼河地方の影響を受けている、
あるいは遼河で話されていたであろう言葉の流れをくんでいる、
との説も幅を利かせている。
にもかかわらず、日本人の間では、 N は極めてまれなのだ。

ふっふっふ~・・・。謎の笑い・・・。