今月のウクライナ-106

ウイグルの崩壊に伴って大きく西方に拡大したトルコ系部族ですが、
今回は中でも遠くウクライナ方面まで展開した連中のお話をします。

匈奴の西走前にはすでにブルガール族がこの地に移住しており、
匈奴がこの地に来た時にはこれに加勢し、欧州深部にまで侵攻したりします。
その後のアヴァールの時も連中と共に大暴れしてます。
遊牧民の血が騒ぐのでしょうかね WWW。
その後 6 世紀頃になってフンやアヴァールの力が弱まると勢力を増し、
大ブルガリアと呼ばれる部族連合的遊牧民国家を形成しますが、
程なくボルガ・ブルガールドナウ・ブルガールなどに分裂して
南北にそれぞれの国家を形成。
アゾフ海周辺に残った連中は、
7 世紀頃に東方から来たハザール族に圧力をかけられ、
多くがハザール可汗国に吸収されていきます。
ボルガ・ブルガールはその後のモンゴルの侵攻により滅亡。
一方、ドナウ川を渡って南下し、
現在のブルガリアの地に進攻したドナウ・ブルガールは
この地を支配していたビザンツ帝国(東ローマ帝国)と戦ってこれを奪い取り、
先にこの地に侵入していた南スラブ人を支配して
ここにブルガール・ハン国を打ち立てることに成功しました。
西暦 680 年のことです。

彼らは 9 世紀にはキリスト教を受け入れ、また、
南スラブ人とも同化を繰り返した結果、現代では、
外見的にも遺伝子的にもほとんど欧州人そのものとなってます。
隣国のマケドニアと非常に近い関係にあるスラブ語を話し、
キリル文字を使うなど、
センセのブログを読まない限りは
元々トルコ系であったことなど夢にも思われぬ人々です。
YDNAC2 もほとんど認められませぬ・・・。

琴欧州 - コピー.jpg琴欧州関  ウイキより
元々はトルコ人でした。
いや、より正確に言うと、ご先祖はトルコ系の方々でした。
いや、よりもっと正確に言うと、ご先祖の中には
トルコ系の方がいた可能性も 0% ではありませぬ・・・、
ということかな?


そのブルガール族を駆逐したハザール族ですが、
以前に述べたように、フン、ブルガール、ハザールは
トルコ系の中でも言語学的に近い関係にあると考えられてます。
で、フンの後にこの地にやってきたハザール族ですが、
突厥、特に西突厥=オンオクの力が優勢だった頃は
これの支配下にありましたが、
オンオクの力が緩むと支配から脱却し、先にお話したように、
ウクライナ方面のブルガール族に圧力をかけるようになります。
ハザールは「敵の敵は味方」的な力学関係によりビザンツ帝国と友好的で、
婚姻関係まで持ちますが、
ウクライナのブルガール族や、
その北方のキエフ・ルーシの連中との度重なる戦闘の結果、
7 世紀末にはウクライナからコーカサスにまたがる大国家の建設に成功します。

ハザール可汗国に関して大変興味深い点が、
宗教としてユダヤ教を採用した、という点です。
現代のイスラエル以外に国家宗教としてユダヤ教を採用した国は、
歴史的に例を見ることはできません。

ゼレンスキー大統領は、この時の子孫なんでしょうかね?

8 世紀になって彼らはアラブのウマイヤ朝に一度敗れたため、
一時的にイスラム教を受け入れたのですが、
なじかは知らねど、時の可汗はユダヤ教を受け入れ、
これに倣って(ならって)ハザール貴族はユダヤ教徒となり、
9 世紀には国教として制定されたようです。

但し、一般民衆の間ではイスラム教が浸透していったらしいのですが・・・。

この頃にはノルマン人がバルト海から現在のベラルーシ~ウクライナまで進出。
キエフ・ルーシ国を打ち立てて交易圏を拡大し、力を増していきますが、
ハザールはこれと一進一退の激しい戦闘を繰り返した結果、
965 年、スヴャトスラフ1世により敗北を喫し、
国家としては消滅することとなります。

ハザール.jpgハザール・カガン国の版図(650年頃が赤、750年頃が橙、850年頃が薄い橙) 
ウイキより

ハザールの武人は非常に勇猛であり、
また、軍律厳しく、
敵に後ろを見せて退却するものは死罪!
指揮を執る者でも、
後ろに退く者は家族~私財を没収された、とのことです。
鎖帷子(くさりかたびら)を身をまとい、
とんがり帽子の鉄兜と鉄製の面をつけて戦った、とのことです。