今月のウクライナ-71

さて、フン族です。
以前にお話したように、
匈奴は仲間割れを起こして南匈奴と北匈奴に分裂してしまいます。
南の方は当面は後漢と上手くやっていきますが、五胡十六国の時代になると、
本来の凶暴さを発揮して再び大暴れすることとなります。
一方の北匈奴は西方に逃れて一時は隆盛になったりもしますが、
今月のウクライナ-56」でお話したように、
モンゴル高原に台頭してきた新たな覇者、鮮卑(せんぴ)により圧迫を受け、
さらに西に逃げていきます。

で、中国の史書によると、
この西に逃げていった北匈奴の連中が奄蔡(えんさい)の王を殺し、
その国を乗っ取ってしまった、とのことです。
で、「今月のウクライナ-70」でもお話したように、
奄蔡=アランであり、アランはサルマタイを圧迫して、当時の黒海北岸地域、
すなわち現在のウクライナ南岸地方に覇を唱えていた連中です。

で、紀元 376 年、ローマ帝国の当時の皇帝のもとに、
「西ゴート族の連中が戦に敗れて大挙してドナウ川まで逃れてきた!」
との報告が届きました。
で、皇帝、これをよく調べたところ、
西ゴートの前に東ゴートの連中が何者かに襲われ、さらには、東ゴートの前には
その東方に位置するアランの連中が襲われた事実が明らかとなりました。
で、その相手方の名前を聞くと、「フン!」とのことです。
聞いた皇帝が「フ~ン」と言ったか言わなかったかは知りませんが、
ここにめでたくフン族が華々しく歴史に登場することとなりました。
北匈奴が鮮卑に追われて西に逃げていってからおよそ 200 年後のことでした。

フンの侵攻.jpg欧州へのフンの侵攻  ウイキより


で、なぜ匈奴がフンなのか、ということですが、
これも相当昔のブログに書いた記憶がありますが、
匈奴の昔の中国読みが「フンヌ」とか「ヒュンヌ」とかいうものであった、
という説があるためです。たぶん、正しいと思いますけど。

で、これに加えて当時の歴史家によるフン族の特徴の記述から
彼らが人種的にはいわゆるモンゴロイドであるのは明らかで、
頭蓋変形なんかもしていた可能性も指摘されてます。
頭蓋変形は南米のインカとかのものが有名ですが、
紀元前数世紀ころの中央アジアでも広がっていた風習でありました。
意図的に行っていたのかどうかは分かりませんが、
東北アジアの遊牧民や北アメリカインディアンなどでは
赤ん坊を寝かしつける際に板状の物に赤ん坊を括り付けたりします。
「虐待だ!」と一瞬思いますが、
実はこうすると赤ん坊はかえって安心し、大人しくなる、とのことです。
母親の胎内に帰ったかの安心感が生じるのですかね?
で、これが高じて頭ごとしばりつければ頭蓋変形になりますので、
個人的には、これが発生なんじゃないか?などと思ったりもします。
ホントのところは分かりませぬ。

頭蓋変形.jpgインカの頭蓋変形  ウイキより
昔も今も、人間は色んなことをするものですね。
今現在、大変な事故が生じてすったもんだの某国では
頭蓋変形ならぬ「顔面変形産業」が大変盛んで、
これを目当てに海を渡る連中もいるようでして・・・。
くれぐれも変形が過ぎないよう、祈るばかりです。


で、考古学的には、昔のアジア遊牧民が使っていた釜(かま)、
儀式用とのことですが、このお釜の形状の変遷を調べていくと、
匈奴とフンとの間には確かな結びつきが認められる、とのことです。

フンの青銅製の釜.jpg青銅製の釜です。儀式用だそうです。  ウイキより


さらに言うならば、フン以降、ブルガール、柔然(アヴァール)、マジャール、
モンゴル、トルコなどなど、戦闘的遊牧民による欧州への東からの侵入が
陸続として生じます。フンが先鞭をつけた、ということかも知れません。

いや、ここは、先便を付けた、と書くべきかも知れません。
フンだけに・・・。

と、言うことで、
「やっぱし匈奴がフンなんだ。フ~ン」と、結論したいと思います。