今月のウクライナ-66

カザフなどのロシアのお友達国家からの志願兵が訓練場で銃を乱射し、
11 名が死亡とのこと!
プーチンも何となく弱気な雰囲気の一方でゼレンスキーはイケドンだし、
さてさてどうなりますやら・・・。

さて、「今月のウクライナ-42」でお話したように、
ウクライナ一帯で盛況を誇ったスキタイの遊牧国家は
紀元前 3 世紀ころには東のサルマタイ族によって滅ぼされてしまいます。
で、この一帯はしばらくサルマタイの連中が大きな顔をすることとなりますが、
サルマタイは基本的にはスキタイと同じくイラン系と考えられています。

同じころ、カスピ海東岸にはマッサゲタイと呼ばれる連中がおりました。
これは中国では奄蔡(えんさい)と呼ばれていた連中で、
基本、サルマタイを構成する一部族であったと考えられています。

で、この奄蔡~マッサゲタイはその後に名前を変え、
自らをアランと称するようになりますが、段々と力をつけ、
東方からサルマタイを圧迫するようになり、
紀元 2 世紀ころには本家のサルマタイを西方に追いやってしまい、
この一帯を支配するようになりました。

で、ここら辺でゲルマンの連中の動向を加えます。

ゲルマンの初期拡散.jpgゲルマン人の初期の拡散状況  ウイキより
:移動前 紀元前750年
:紀元前500年
:紀元前250年
:1年


紀元前 2000 年ころ、
北西に向かって移住した連中がゲルマン民族の元になったと考えられますが、
いわゆる「ゲルマン民族の大移動」前にも、徐々に南下~拡散しており、
紀元前1000年半ばから紀元前3世紀のころまでには、
西は
オランダからライン川下流域、
東は
ヴィスワ川流域、ドナウ川北岸、ドニエプル川流域まで広がり、
北ゲルマン、西ゲルマン、東ゲルマンの3つのグループを形成した、
とのことです(以上、ウイキより引用しました)。
ですので、アランが支配的となった黒海北岸域ですが、当時の状況は、
西ウクライナ辺りはサルマタイの残存勢力とゲルマンのゴート族、
東ウクライナはアラン人の勢力範囲であった、ということでしょうか。

これにさらにブルガール族を加える必要があると思いますので、
簡単に彼らを紹介します。

ブルガール族は現在のブルガリア人の祖先です。
今でこそバルカン半島に住んでヨーグルトとか食べて
時々お相撲さんなんかも排出する連中、と考えられてますが、
元々はトルコ系で、
遠くシベリア~モンゴル辺りに住んでいた連中が遠路はるばる西進し、
この当時は黒海北岸からカスピ海沿岸の草原地帯で遊牧を行っておりました。
それが今後お話する出来事によって現在の地に住まう形となるわけです。

さらにこれに加えてその後の歴史で外せない連中が登場します。
それが、スラブ人です。
彼らに関しては、次回にお話したいと思います。