今月のウクライナ-64

さて、紀元前 2000 年くらい前のころ、
ウクライナステップにいた原印欧語族の一部が
インド~アルメニア~ギリシャへ向けて移動を開始しますが、
その後、逆方向の北西方面、
すなわち現在のバルト海沿岸からスカンジナビア半島方面に
向かった一派がありました。
これが後のゲルマン族の祖先となった連中ですが、一方、より南の
現在のアルプス以北~中欧ヨーロッパ一帯に進出した連中がおりました。
これがケルトの祖先となった連中です。
両者共に、印欧語族の特徴である馬と戦車の文化を引き継いでいたようですが、
如何せん、森林地帯である欧州地域において遊牧をすることはかなわず、
農業と牧畜を基本とした生業を行っていたようです。

もちろん、
部族同士で首狩り競争に勤しむことは片時も忘れることはありません。

時代が下り、紀元前 1200 年くらいより以降、
ケルトの連中は、この地にハルシュタット文化と呼ばれる
「岩塩」の採掘を特徴とする文化を打ち立てました。

ケルト人.jpgケルト人の拡張  ウイキより
黄色がハルシュタット文化と重なる場所です。
薄緑で示した彼らの最大分布域は、紀元前 3 世紀ころとなります。
深緑で示したところは現代でもケルト語が話されている場所です。


また、この紀元前 1200 年台の時代、
北欧から中東にかけて未曽有の天災が襲った可能性が指摘されてます。
モーゼに率いられたユダヤ人の一群がエジプトを脱出する際に
追いかけてきたエジプト軍が突然の大洪水に見舞われて全滅するという
映画などにもしばしば登場する有名な場面がありますが、
これもその時の天変地異によるものではないのか?との指摘もあります。

で、この天変地異によって食うに困った北方の民が南下した結果、
彼らに押し出された南欧州から地中海にわたる先住の民が
彼ら、北方の民と共に大挙してエジプトやアナトリアに押し寄せた結果が、
今月のウクライナ-34」で描いた「海の民」の正体である、
との指摘もあります。
さらに加えてあの有名なアトランティスは、
この時の天変地異によって水没した国家のことではないのか?
というヒトもいます。
いずれにせよ、この時代、
欧州は何らかの激変に見舞われた可能性があるようです。

で、このような時代を経て紀元前 4~5 世紀ころともなると
ケルトの連中はアルプスを越えて南下し、
フランス~イベリア半島~イタリア半島~ギリシャにまで到達した結果、
ローマやギリシャの「文明人」との軋轢を生むこととなりました。
一部はアナトリアに達し、小さいながらも自分たちの国を作るに至ります。
当時のアナトリアを支配していたセレウコス朝
これらの厄介至極な連中と戦い、これを撃破するわけですが、
この時の勝利を記念して時の将軍が作らせたのが、
あの有名な「瀕死のガリア人」の像です。
もちろん、ガリア人=ケルト人です。

瀕死のガリア人.jpgアルカリ処理の髪、口ひげ、首輪などが特徴です。  英語版ウイキより