今月のウクライナ-51

プーチンの懐刀でもある大物右翼の娘が、車に仕掛けられた爆弾で爆殺された!
現状ではまだまだのんきに見えるロシア国民ではあるが、
チェチェン紛争で見られたような大規模なテロが
今後再びモスクワで生じる可能性はない!とは言えない。
プーチンに忠実なチェチェンの髭もじゃ隊長であるが、
一般のチェチェン人はどう思っているのだろうか?
ブリヤートのモンゴル人が狩りだされて前線に送られているが、
反乱が起きたとの情報もある。
カザフなど、中央アジアの友好的なはずの共和国は、
プーチンから一定の距離を置いているようだ。
モスクワで動員がかかるような状況となれば、
さすがのロシア国内も騒然としてくるであろう・・・。


さて、ここで紀元前後のユーロアジアの大国の情勢について
概観しておきたいと思います。まずはローマ帝国から。

印欧語族の拡散が生じる前は、
それ以外の言葉を話す連中が欧州~近東~インドに広く住んでおりました。
既にお話してきたセム族とかドラヴィダ人とかヴェッダとかです。

イタリア半島においては、
ラテン人などのイタリック語派に属する印欧系が幅を利かす以前は、
エトルリア人などの非印欧系の連中が住んでおりました。
古代ローマの初期にはむしろエトルリア人が優越していた、との説もあります。
スペインには、これも非印欧系のイベリア人が定住していましたが、
彼らの出自はコーカサスである、との説もあり、また、
彼らの生き残りがバスク人である、とも言われてます。
これら、古代の非印欧系の連中のマップがウイキに載ってましたので、
貼っときます。ナカナカ興味深いです。
いずれにしましても、コーカサス人にせよバスク人にせよ、
印欧系の連中に急峻な山の中に追いやられてしまうこととなりますが・・・。

古代の非印欧系.jpg古代の非印欧系の分布図 ウイキより
北アフリカからまずは中東に分布し、
そこから東西に広まった感が見て取れます。


今月のウクライナ-33」で、紀元前 1600 年くらい前、黒海北岸あたりから
原印欧語族の第二派の移動が生じた可能性を指摘しました。
この流れでギリシャ~イタリア半島~イベリア半島を含む欧州全域が
印欧語を話す連中によって占められた、と考えられます。
ラテン系言語を話すローマ人もこの流れでイタリア半島に達し、
ローマを中心として、
先住民であるエトルリア人などと共に、多くの都市国家を形成します。
当時、ケルト人とかゲルマン人とかの
「同源ではあるが別種の言語を話す」種族が
それぞれ多くの部族を形成しながら、
西~北方のヨーロッパを占拠することとなりました。
ローマがその後に大帝国を作る一方で、
これら北方の連中が長らく野蛮人であり続けた理由こそは、
ギリシャの影響が大変大きかったから、と言えると思います。
で、ギリシャは中東のより先進的な文化から影響を受けて生まれたわけです。

やっぱり歴史を学ぶことは大事です!

で、国家としてのローマとしては、
一応、紀元前 753 年という建国の年が決められてます。
トロイ戦争で敗れたトロイの王がイタリアに逃亡して建国したと言われてます。

もともとトロイ、ということですかね WWW?

それはともかく、建国当初は王政で、先住のエトルリア人の王なども建つなど、
結構雑多な民族構成だったみたいですが、
その後、紀元前 509 年には共和制に移行し、
段々と我々の知るローマ帝国に変身していきます。

Roman_Republic_Empire_map.gifローマの領土の変遷 ウイキより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Roman_Republic_Empire_map.gif


当時の地中海は、
セム系の、航海術に長けた民であるフェニキア人が幅を利かせておりましたが、
彼らが現在のチェニジアに打ち立てた国家であるカルタゴ(ポエニ)とは
数度にわたって熾烈に戦い、最終的にはこれを徹底的に滅ぼしてしまいます。
紀元前 146 年のことです。
カルタゴのハンニバル将軍のお話が有名ですね!

ハンニバルのアルプス越え.jpg有名なハンニバルのアルプス越え ウイキより
ゾウはアフリカ象でしょうかインド象でしょうか?
たぶん、はるばるインドから輸入したインド象だったと思います。
ホントに使ったかどうか分かりませんけどね。
餌が大変だったでしょうね WWW。


その後は例のジュリアス・シーザー(カエサル)とか寝ろ!
じゃなくてネロ皇帝とか、
映画などでもおなじみの連中がいろいろ出てくるわけですが、
地中海からフランス(ガリア)、さらにはイギリスにまで植民地を伸ばし、
「世界の道はローマに通ず」の、
空前絶後の繁栄の時代を迎えることとなります。

で、紀元後 4~5 世紀頃からゲルマンの侵入を受けることとなりますが、
ローマに関してはここまでといたします。