今月のウクライナ-24

ヒッタイトについて話し出すと
馬と二輪の戦車(いわゆるシャリオット)について話さなくてはなりませんが、
そうなると印欧語族の基となった人々(原[げん]印欧語族と命名しときます)と
馬との関係を話す必要が出てくるし、
そうなるとステップでの遊牧生活の発生についてお話する必要があるし、
そうなると農業や牧畜の発明~伝播についても語らなくてはならないし、
そうなると狩猟段階はどうだったのか知りたくなるし、
そうなると出アフリカを果たした人類の欧州への拡散はどうなの?
という疑問が生じるし、
ということで、結局ネアンデルタール人からお話する羽目になりました!
出来る限り簡単に・・・。
さすがにネアンデルタール人の出自に関しては勘弁してくだされ!
もう、きりがない・・・。
下手するとビッグバンまでさかのぼってしまいそうで・・・。


今月のウクライナ-16」で述べたように、
現生人類の一派は 6 ~ 7 万年くらい前にアフリカを出て
インド方面からスンダランドを通ってオーストラリア方面に、
他の一派は同じころに東方に向かった後、北上して東アジア方面に、
そして他の一派は 4 万 5000 年くらい前に
現在のパレスチナ辺りからアナトリアやコーカサスを経由して
欧州方面や中央アジア方面に向かった、と考えられています。
もちろん皆さん揃って狩猟採集の人々です。
アフリカを出て間もない頃は、皆さん揃って外見的にはアフリカ人です。
当然ながら。

人類の拡散.jpg現時点で唱えられている現生人類の拡散経路と年代 ウイキより
 

で、欧州に向かった人々の前にはネアンデルタール人が居りました。
マンモスなどの大型動物を槍(やり)などで捉えて生活してました。
体のつくりも頑丈でした。
眼窩上隆起(がんかじょうりゅうき)と呼ばれる大きな「まびさし」や、
顔の真ん中にそびえたつ堂々たる「鼻」などが特徴的です。
しかしながら、脳の容積は現生人類と同等、
あるいはむしろ大きかった可能性も指摘されています。

ネアンデルタール人は現生人類よりもよっぽど昔から
寒冷で日照も少ない欧州の土地に長らく住んでおりましたので、
肌や髪、そして目の色などは現代の白人種と同じようだったのでは?
と考えられています。
ナショ・ジオ辺りには色んな復元写真が載ってますが、
あそこは無断転載禁止に加えて無断リンクもダメダメなので、
どうぞご自分で探してくだされ。

で、4 万年くらい前に初めて彼らと出会った現生人類は、
先に述べたようにアフリカから出てきた新参者ですので、
肌の色は黒くて髪も縮毛だったと思われます。

黒い肌は紫外線に対して防御的に働きますので、
寒冷で日照も少ない欧州の土地ではビタミン D が不足し、
くる病の原因となってしまいます。
従いまして、時間の経過と共に彼らは脱色していったと思われますが、
一部はネアンデルタール人と混血した結果そうなった可能性も
指摘されています。

2018 年、イギリスの洞窟で出土した人骨より得られた DNA を分析し、
これに基づいて当の人物像を復元したところ、
黒い皮膚に縮毛の人物像が得られました。
出土場所の地名に基づき、チェダーマンと呼ばれます。
およそ 1 万年前の狩猟採集民、と考えられます。

チェダーマンの画像も転載禁止ですので、ググって下され!

4 万年前に欧州に到達したにもかかわらず、
3 万年たっても未だ黒い皮膚を持っていた、という事実は驚きです。
たぶん、ビタミン D は動物肉から摂っていた、ということでしょうか?
ということは、農業の発明が欧州人を白くした、ということなのでしょうか?
それではネアンデルタール人が白いのはなぜ?
動物肉を主食としていても、欧州にン十万年も住んでいたら白くなる?
それとも単なる類推から「白かったんだろう」としたのか?
あるいはペーボ博士らによる DNA 分析に基づいてそう決定した?
またはチェダーマンは当時の「難民」だったとか?
最もありうる可能性として、単なる解析結果の過剰なる解釈とか?

よく分かりませぬ・・・。

も一つ興味深いのは、復元像が「青い目」を有している点です。
ということは、形質の進化~変化は常にワンセットで生じるのではなく、
個別に生じる可能性がある、ということを意味するのかな?
と考えてます。
ワンセットで変化しないので、
変化の過程で色々な体の不都合が生じる可能性があると思います。
親知らずや八重歯などは、その好例かも知れません。

また、センセが子供の頃は
おそ松くんのイヤミ氏のような方が結構居りましたが、
最近はあまり見かけません。
子供のうちにブリッジなどで矯正するせいなのかも知れませんが、
形質的な変化がある程度落ち着いてきているのかな?とも感じます。
「そんなに早く変化するものではない!」
とおっしゃる方も居られるでしょうが、
戦後の人々の身長の伸びを見る限り、
速く変化する形質とそうでないものと、両者あるかと思います。

解剖学者の鈴木尚氏の著作「化石サルから日本人まで」によれば、
(相変わらず古い本で恐縮ですが)
鎌倉時代の鎌倉で出土した多くの人骨を調べた結果、
長頭で出っ歯の個体が多かった、とのことです。
これは、
「縄文人の形質=長頭と弥生人の形質=歯が大きいとが合体した結果で、
この時代に関東では縄文系と弥生系の混交が多く生じたのかな?」
とも考えたくなりますが、本当のところは分かりませぬ・・・。

というか、またもや大きく脱線してしまいました!
ウクライナには一体いつになったらたどり着くやら・・・。