今月のウクライナ-16

ウクライナの平原.jpg一望千里のウクライナ平原 Google マップより


ドニエプル川河口.jpg黒海に注ぐドニエプル川河口 Google マップより
コサックの連中は、ここからチャイカに乗って沿岸諸国に遠征して行きました。


さて、「ウクライナ」という言葉ですが、
ロシア人に言わせれば「辺境の地」と言う意味で、
ウクライナ人に言わせれば、単に「土地」と言う意味だそうです。
早くもケンカが始まります。
ここでは「黒海北岸の大平原」くらいの意味で用います。

で、お話はいきなりホモサピエンスの出アフリカから始まります。

なぜか。

たっくさんの「民族~部族~氏族」が登場しますので、
ざざっと旧石器時代のお話もしておく必要があるためです。
「今月の書評」シリーズの過去ログも読み返してくだされ!

おおよそ 6 万年前くらいにアフリカから旅立って行ったご先祖さまですが、
一派は南アジアを通ってスンダランドからオーストラリア方面に、
一派はスンダランドから北方に、
そして一派はパレスチナ~アナトリア(現在のトルコ辺り)を経て
欧州の地に拡散して行きました。
それぞれが、現在のオーストラリア~ニューギニア原住民、
縄文人やアイヌ人、北方~南方アジア人、
そして欧州から中央アジアにかけてのコーカソイドに分化して行きました。

中央アジアへのコーカソイドの進出はアジア系よりも早く、
かつ、広範囲に及んでいたことは、
マリタ遺跡などの例をあげて、過去ログでご紹介しました。

初期のコーカソイドは狩猟民でしたが、
その後、アナトリアあたりから農業が伝わり、
欧州全域に伝播していきます。

紀元前 5000 年前くらいになると
現在の南ロシアからウクライナ周辺に定住していた人々の勢力が増し、
ここから徐々に東西南北に拡散して行くこととなります。
これがクルガン仮説によるインド・ヨーロッパ語族の発生~拡散です。
クルガン仮説に関しても、過去ログで述べました。
もう一度おさらいします。

クルガン仮説.jpgクルガン仮説によるインド・ヨーロッパ語族の拡散 ウイキより


クルガンというのは墳墓=お墓のことで、トルコ語だそうです。
日本の円墳を想像してもらえれば OK です。
このような円墳を築いた人々の文化のもう一つの重要な特徴として、
馬の家畜化が挙げられます。
当初は食肉が目的であったようですが、
飼いならして車を引かせることを発明した結果、
運搬手段や戦争などにおいて、
周辺諸民族に対して優位に立つことができたと考えられます。

ジャレド・ダイアモンドの有名な著書に「銃・病原菌・鉄」がありますが、
これに「馬」を加えても良いかと思います。
インド・ヨーロッパ語族は、馬の有効利用によって、
南アジア~中央アジア~欧州大陸を席巻することができたのだと思います。

さて、もともとは同じ言葉を話していた連中であったわけですが、
各地に拡散し、時代を経るにつれ、
次第にギリシャ語、ゲルマン語、ケルト語、イラン語、ヒンドゥー語その他に
分かれていきました。
中には、故地からあまり離れずに定住していった人々もおりました。
それがスラブ語を話す人々、スラブ人です。
ウクライナ人もロシア人も、同じスラブ人に分類されます。


上の図を見ると面白いところに気が付きます。
図を見る限り、インド・ヨーロッパ語族の連中は
山岳地帯であるコーカサスを席巻することはなかったようですね!
基本、馬車に頼る平原の民だったからでしょうか?
ここは色んな少数民族のごった煮地域で、紛争の絶えないところです。
そのうち調べたい、と思います。

※ その後、ちょこっと調べた限りでは、
インド・ヨーロッパ語族のいくつかの集団は、
コーカサスを通過してアルメニアに進出しているようです。