今月のウクライナ-156

あちらでもこちらでも人質人質で大変です・・・。

さて、アラブ世界で売り出し中のマホメットですが、
イスラム教徒も増え、軍団も大きくなり、シリアに向けて進軍!
いくつかの町を攻略して帰還したのち、彼自身で初のメッカ巡礼を果たします。
待望の巡礼を終えてメディナに戻ったマホメットですが、
体の不調を訴えるようになり、西暦 632 年、60 歳で死去します。

彼に付き従ってきた教徒たちですが、後継者を選ばなくてはなりません。
この後継者のことをカリフ、あるいはハリーファと呼びます。
マホメットから 4 代続くこととなるこのカリフ時代のことを
正統カリフ時代」と呼びますが、
彼らはマホメットと苦楽を共にして戦って来た人々で、
彼の教えをリアルタイムで耳にし、実践してきた人々です。
アブー・バクルという名のオトコが最初のカリフとなりました。

マホメットが死ぬと、
新興勢力であるイスラム教団に対して反抗する連中が現れるようになりました。
彼らは「我こそが預言者である!」とか言って各地に勢力を形成しますが、
これはすなわち、
マホメットの「啓示」に続く政治的成功をまねて唱えられた称号です。
で、「真の」イスラム教団としては当然見過ごすわけにはいかないので、
アブー・バクルは彼らを「偽(にせ)預言者」として各個に撃破し、
メディナのイスラム政権はさらに強固なものとなっていきます。

で、勢いに乗ったイスラム軍は、
当時のシリアを治めていた東ローマ帝国と一戦を交える決意をします。
この時のカリフは二代目で、
アラブ側はハーリド将軍をシリアに向かわせる一方で、
ローマ皇帝側もこれを迎え撃つべく、大軍をシリアに送ります。
両軍、ヤルムーク川で対決しますが、
ナント、イスラム軍、あの強大なローマ軍団を打ち砕いてしまいます!
さらに勢いづいたイスラム軍、シリア全土を制圧するだけでなく、
南下してエジプトに進攻し、西暦 661 年
これを攻め滅ぼしてしまいます!

この頃のシリアやエジプトには、ユダヤ教徒や、
ビザンツからすれば異端と見なされていたキリスト教徒が
数多く住んでいました。
これらの異端のキリスト教徒にしてみればビザンツこそが敵であり、
税金を払いさえすれば OK 牧場!をスローガンに掲げたイスラム軍のほうが
統治者としてはより好ましかったようで、
イスラム支配の手助けをするキリスト教徒も多くいたとのことです。

イスラム帝国.jpgイスラム帝国の拡大  ウイキより
DieBuche - 次のものを使用した投稿者自身による著作物:http://guides.library.iit.edu/content.php?pid=27903&sid=322018 (archive1, archive2) (via Image:Age_of_Caliphs.png)Image:BlankMap-World6.svgThe Times Concise Atlas of World History ed. by Geoffrey Barraclough published by Times Books Ltd. ISBN 0-7230-0274-6 pp. 40-41., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10802592による

こげ茶色:モハメット下における領土拡大、622 - 632
茶色:正統カリフ時代における領土拡大、632年 - 661年
薄茶色:ウマイヤ朝時代における領土拡大、661年 - 750年

あっという間に拡大したのですね!