今月のウクライナ-151

イスラエル軍は早くもガザを全面的に包囲し、
北部ガザ地区の一般住民に対して南部への退避を勧告しました。
ことによると、このブログが公開される頃には、
イスラエルの地上軍が北から怒涛の進撃を行っているかも知れません。

さて、そんなパレスチナの地ですが、過去ログのどこかで書いたように、
パレスチナ問題は本来的には領土問題であって、宗教は関係ありません。
従いまして、基本、同じアラブ人であることから
アラブ諸国がパレスチナ人に対して連帯感を共有するのは理解できますが、
どういうわけか、
いつのまにやらイランが全面的にしゃしゃり出てくるようになり、
ユダヤ教徒 vs イスラム教徒の図式が表面に出てくるようになり、
現在ではイスラエル vs イランの構図が中東最大の不安定要因となってます。

何度も述べてきたように、
イランは印欧語系のペルシャ人で、アラブとは全く関係ありませんよ!

現在の人々からするとイラン=イスラムは当たり前に見えるのでしょうが、
イランが現在のようなあからさまなイスラム国家となったのは
わずか半世紀ほど前の 1979 年のイスラム革命の時です。
当時のイランはパフラヴィー朝(パーレビ朝)と呼ばれる王政の時代で、
センセらの世代では、
イランと言えば「出光石油とパーレビ国王」というカンジでした。
パーレビ国王は西欧化~脱イスラム化~資本主義化を推し進めたのですが、
ナカナカ上手くいかず、逆に社会が不安定化し、とうとう内乱が勃発!
ムジャヒディン・ハルクなどの共産主義勢力も登場し、
スカーフを被った女性兵士などが実際にドンパチしておりました。
そういう中で、かの有名なホメイニ氏がイスラムの指導者として登場し、
ここに他派を押さえてイスラム革命派が勝利!
現在見られるような、
シーア派イスラム教の教えに基づく政治体制を確立することに成功しました。
当時の日本の我々から見れば、
まるで時代が逆戻りしているかのような感覚を覚えたものです。

当時の東京には、
不安定な母国から逃れて出稼ぎにきたイランの若者がたくさん居り、
上野の西郷さんに通じる階段には、
袋のようなジーンズをはいて繋がった眉毛をした多くのイラン人が
ひな壇の上をハトと一緒にたむろっておりました。

センセの M 大時代、隣の講座にイランから来た女子学生がおりまして、
常にスカーフを被って熱心に研究を行っておりましたが、
イスラムの教えにも熱心で、一日に 5 回の礼拝を欠かさず、
おかげさまで担当教授としょっちゅう揉め事を起こしておりました。
で、ある日のこと、
彼女が自分のアパートまで一緒に付き添って欲しい、家まで送って欲しい、
とセンセに頼んできました。
センセ、良からぬ期待を抱いて直ぐに OK したのはもちろんのことですが、
アパートに着いたら
「どうもありがとうございました」と日本語で言って、
そのままさっさと家の中に入って行ってしまいました・・・。
「お茶でもいかがですか?」
との言葉(あるいは more ?)を期待していたのですが WWW、
「アッラ~~~!!!」というカンジでした WWWWWW。

早い話が、女性が外出する際のイスラムの教えに従っていただけのお話です。
センセは信頼されていたのですね!
よく考えると、少し複雑な気持ちもしますが・・・。

で、革命後はやる気満々のサダムフセインとの間にイラン・イラク戦争が生じ、
同じイスラム同士でケンカするわけですが、
ほぼ同時期にはベトナムと中国が国境紛争を起こし、
少し前にはベトナムがポルポトのカンボジアに進攻するなど、
同じ宗教や共産主義を頂く国々の間での戦争が続いたことから、
当時の日本の多くのジャーナリストや思想家(大多数が左寄りの方々)が
戸惑うこと戸惑うこと!

そんな時代でした。

結局のところ、生物学や物理学その他の科学的基礎の理解無く、
単純に形而上学的な世界観の中でいくら議論を深めたところで
人間の行動を本当に理解することなど不可能ですよ!
というお話です。

で、大きく脱線してしまいましたが、
イスラエルやパレスチナとは無関係なイランが
なんでイスラエルにケンカを売りがちなのか?
一つには、そもそものイスラム革命の本質が
「アメリカ資本主義をイランから追い出したい!」
という側面が強かったことから、
アメリカ資本=ユダヤ資本という、
今でもよく耳にする陰謀論的な考えに基づき、
「憎っくきアメリカ人とユダヤ人は同じ穴のムジナじゃ!」と結論して、
イスラエルを敵と考えているフシがあります。
また一つには、
シーア派のイランの宗教指導者たちが「我こそはイスラムの盟主なり!」
と考えているからでしょうね。
要するに、スンニ派の牙城であるサウジアラビアとの宗教的な覇権争い
ということです。

初期の中東戦争のころは、
ナセル大統領率いるエジプトがアラブ~イスラムの盟主というカンジでしたが、
イスラエルに負けてばっかりで懲りたのか、
エジプトは早々にイスラエルを国家として認めるなど、
最近のアラブ連盟は「イスラエルとは事を荒立てたくない・・・」、
という想いが見え隠れします。
で、これに代わってイランがしゃしゃり出つつある、
というのが現状なのでしょうけど、
イランもどこで間違えたのか、
お友達としてロシア、中国、北朝鮮とつるむようになってしまい、
「こんなはずじゃなかったのだが・・・」
というのが本音であるような気もします。
これら三国の共通点は共産主義~元共産主義国家ということですが、
イスラムと共産主義って、相性はどうなんでしょうかね?
何しろ共産主義は無宗教主義思想ですし、
無宗教のはずが指導者崇拝という一神教ですし、
偶像否定のイスラムですが、
レーニン~スターリン~毛沢東~キムくんに至る
ビッグサイズの銅像を拝まぬ人民は速攻で強制収容所行き!
という国々でイスラム教は成り立つのでしょうかね?

ま、サダムフセインも自分の銅像を拝ませていたわけですが WWW。

中国ではイスラム教徒のウイグル族が抑圧されてますが、
イランの宗教指導者は彼らに対する連帯感は皆無のご様子。

ナカナカ都合のよろしい方々のようです。

F14.jpgパーレビ国王の時代にアメリカから購入した F-14 トムキャット  ウイキより
Shahram Sharifi - http://www.airliners.net/photo/Iran---Air/Grumman-F-14A-Tomcat/2397261/L/, GFDL 1.2, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=41501421による

懐かしい可変翼の海軍機です。
イラン・イラク戦争は、略してイライラ戦争などとも呼ばれてました。
傍から見ている限り、こんなカバカバしい戦争も無いもんだ、
と皆が思ってました。