マホメットによるイスラム教の布教活動が始まる前の時代のことを
「ジャーヒリーヤ時代=無知の時代」と呼びます。
より具体的には、
サイハド文明が終了してヒムヤル国とアクスム国が覇権争いをする
5~6 世紀頃からイスラム誕生までの時代を指すようですが、
もちろんイスラム教徒側からの見方ではあります。
で、シバ国やハドラマウト国を倒してイエメンを統一したヒムヤルですが、
実のところは対岸のアクスムの属国に近いものであったようです。
当時のアクスム王国は対岸のアラビア西岸部をも支配し、
紅海の支配権を握って隆盛を極めるなど、
ローマ、ペルシャにつぐこの地域の大国であったらしいのですが、
センセが高校生の頃の世界史の授業でこの国について習った記憶はありません。
今の高校生は教わるのですかね?
で、アクスムに首根っこを押さえられてきたヒムヤル国は
ナントか連中の影響力から逃れようと悪戦苦闘するのですが、
戦争をしても連戦連敗。
他部族に対しては勇猛果敢なヒムヤルのアラブ戦士でしたが、
アクスム軍には全く歯が立たなかったようです。
で、ヒムヤル国の民衆は
キリスト教徒あり、ユダヤ教徒あり、古来からの多神教の信徒ありで、
キリスト教徒たちは
同じキリスト教の国であるアクスムと手を組む方が良いと考える一方で、
ユダヤ教徒たちはこれに反発するという図式。
ヒムヤルの王もアクスム傀儡のキリスト教徒であったり、
これに反発するユダヤ教徒であったりを繰り返しておりました。
で、とあるユダヤ教徒の王様のとき、
大規模なキリスト教徒の弾圧が発生!
多くのキリスト教徒が刑死するという事件がヒムヤルで生じます。
西暦 517 年の年です。
これに怒ったアクスムの王様は直ちに兵を対岸に送り、
戦闘が開始されますが、当然のようにヒムヤル側が負け、
ユダヤ教徒のヒムヤル王は逃げてしまいます。
で、アクスム王はキリスト教徒の傀儡ヒムヤル王を擁立し、
一旦は収まります。
しかしながら、522 年にクーデターが生じ、
ズー・ヌワースというユダヤ教徒のオトコがヒムヤルの政権を掌握します。
どうやらこの男、正式な王様ではなかったようですが、
ともかくも反乱軍を指揮して
ヒムヤルに駐屯していたアクスム軍をまずは追い払い、
返す刀で再びキリスト教徒の迫害を開始。
11 月の 24 日と 26 日の二日間で、
ナジュラーンと言う町の教会に立てこもっていた多くのキリスト教徒を
教会ごと焼き払ってしまいます。
なぜ 24 日と 26 日で 25 日は何してたのか?と言うと、
25 日はユダヤ教の安息日だった、とのことです WWWWWWWW。
ヤハウエの神との約束を忠実に守りながら迫害に勤しんだ、
ということですね!
キリスト教徒、25 日に逃げればよかったのに・・・。
で、この事件はたちまちビザンツまで知れ渡り、
当時のキリスト教の世界にとっては
心胆寒からしむる大事件となってしまいました。
ヒムヤルのキリスト教徒もアクスムのキリスト教徒も
ローマ側からすれば異端ではありましたが、
ともかくもキリスト教徒であるのは間違いのないところなので、
ビザンツの皇帝はアクスム王に兵を出すように要請。
当然ながら怒り心頭の王はヒムヤルに大軍を送って反乱軍を殲滅し、
再びキリスト教徒の傀儡政権を打ち建てることに成功します。
今現在、応仁の乱で忙しいこの南アラビアの地で、
昔にこんな事件が生じていたとは
センセは今の今まで知りませんでした。
皆さんは知ってた?
やはり歴史を学ぶのは重要です。
歴史だけではありませんがね!
何が真実で何がフェイクなのか、
それを判別するには
深くて広い知識の蓄積=すなわち教養を積むことが必要、
ということでしょうか。
アクスムの王が建てた石柱 ウイキより
23 メートルあるとのことです。
左の人物との対比で大きさが分かります。
昔の王様たちはこういうのが好きですよね!
世界各地、色んなところで目にします。
行ったことないけど・・・。
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