菅沼菜々ちゃん軽井沢で涙の初優勝!おめでとう!
で、アラブです。
イスラム教誕生のはるか前に生まれたシバ王国ですが、
イエメン界隈はアラビアでも比較的降雨に恵まれた場所であるため
農業が行われ、また、紅海の要衝を占める位置関係から、
この地の覇権争いは古代より激しいものがあったようです。
紀元前にこの地に栄えた王国はシバを始めとしていくつかありましたが、
ひっくるめてサイハド文明と呼ばれます。
その後、対岸のエチオピアの地に
アクスム王国がおおよそ紀元前後頃?に誕生しますが、
たぶん、シバ王国を作ったアラブ系の連中と、
ダアマト王国と呼ばれる国を作った地元のアフリカ系の連中が
この地で合体して生まれた国なんじゃないのか?
と個人的に考えてます。
サイハド文明は紀元前後には衰退し、イエメンの地は、
シバ、ヒムヤル、ハドラマウトの三王国が鼎立する時代を迎えます。
これらの国々は、それぞれの民族神を擁する典型的な多神教国家でしたが、
次第にキリスト教やユダヤ教の影響を受け、
一神教的な信仰の考え方~習慣が広がっていったようです。
ほとんどの方々がこれまで聞いたこともないであろう名前の国々ですが、
ほどなくナカナカ面白い展開となりますので、しばしガマンして下され!
で、当初はシバ国が優越し、アラビア半島内陸部まで侵攻したりするのですが、
ほどなくヒムヤル国の勢いが増して三世紀頃にはシバ国は滅亡。
返す刀でハドラマウト国も滅ぼして、
南アラビアはヒムヤルにより統一されます。
一方、対岸のアクスム国も
エジプト~インド洋の海上輸送の要である紅海を押さえる野心満々。
対岸を押さえるため、三国鼎立時代には
シバに味方したりヒムヤルに加勢したりして分断を図っていたようですが、
ヒムヤルによる統一以降はこれと敵対。度重なる戦闘を行うようになります。
で、エチオピアと言えばキリスト教の一派であるコプト教信仰の中心ですが、
コプト派がアクスムに入ったのが西暦 325 年のこと。
これに対抗してヒムヤルの王が採用したのが、ナンと、ユダヤ教です!
ここに、キリスト教徒とユダヤ教徒の血なまぐさい争いが勃発します。
イエスの誕生やユダヤ人のディアスポラから数百年経ったこの時代、
アラビア半島には、
多くのユダヤ教徒の共同体とキリスト教徒の共同体が広がっておりました。
エジプトのプトレマイオス朝がローマに吸収され、
ビザンツのローマとササン朝ペルシャの二大国による争いの時代です。
で、以前にもお話したように、キリスト教は異端争いの真っ最中ということで、
宗教会議によって異端とされた会派の多くがローマ以外に布教の地を求め、
広がって行きます。
シリアやメソポタミアに小王国を作っていたアラブ系の連中の多くも、
これらネストリウス派などの異端系キリスト教徒となっていきました。
また、ユダヤ教徒となったアラブ人も一定数いたようです。
異端派のキリスト教徒は当然ビザンツとは仲が悪い一方で、
同じキリスト教を信仰する仲間ではあり、ということで、
今後、ややこしい展開を提供する材料となっていきます。
西暦 3 ~ 4 世紀?頃のアクスム王国 ウイキより
紀元前 400 年頃のダアマト王国 ウイキより
クシュ王国の時代です。
コメント