スウエーデンが NATO 入りの可能性が高まってきました。
バイデン、たぶん、
F-16 をエルドアンの鼻先にぶら下げたのだと思いますけど・・・。
ウクライナにももっと早く提供していれば、とも思いますがね。
クラスター爆弾も供与される可能性が出てまいりました。
これは NATO の足並みが揃っていませんが・・・。
で、ウクライナの反転攻勢、東部南部ともに曙光が差してきた?
そろそろ主力部隊投入か?
さて、国が滅ぼされてバビロンに捕囚されてしまったユダヤ部族ですが、
新バビロニア王国もまた、
アケメネス朝ペルシャのキュロス二世によって滅ぼされてしまいます。
紀元前 539 年のことです。
アケメネス朝の君主は宗教的に寛大で、
バビロンに囚われていたユダヤ人は翌年には解放されます。
しかしながら、多くのユダヤ人はバビロニアに残り、
エルサレムに帰還したのは全体の 2~3 割であったと言われてます。
このことからも、
この時代においてすらもユダヤ人の全てが熱烈なヤハウェ教の信徒であった、
というわけではなく、大多数は世俗の民であったのだ、と思われます。※
ある意味、逆説的ではありますけど、
後の時代のキリスト教徒による迫害が彼らを一層の閉鎖的集団に追い込んだ、
という側面は強いかと思います。
ま、この件に関しては、両者共に責任があるとは思いますけどね。
※バビロニアに残った連中はユダヤ教の信仰を捨てたわけではなく、
それどころかユダヤ教の神学校も建てられ、
この地でユダヤ神学がさらに発展していった、とのことです。
訂正します。
いずれにしましても、
捕囚されたユダヤ人の中でも特に信仰の篤い連中がエルサレムに戻った、
と思われます。
で、このような経験をしたユダヤ人ですので、
エルサレムに戻ったユダヤ人の間では、
現代の新興宗教などでもおなじみの、
「自分たちだけの内向きサークル」的な社会的雰囲気が醸成されたのだ、
と思います。
部族神であったヤハウェを中心に据える一神教をより精緻に体系化し、
儀礼や律法などの体裁を整えただけでなく、
「この神を信じるものがユダヤ人である!」との概念をこの時に打ち立てた、
と考えられます。
実際この時代、ユダヤ人自身が、
ユダヤ人以外の人々との結婚を自ら禁止してしまいます。
ヤハウェを信じる者=ユダヤ人、と自ら定義したのですから、
この時から、ユダヤ人=ユダヤ教徒、という図式を自ら宣言した、
ということになります。
ユダヤ部族以外のイスラエル部族はすでに雲散霧消し、
ユダヤ人の、ユダヤ人による、ユダヤ人のための宗教、すなわちユダヤ教が、
ここに目出度く完成しました。
いわゆる「嘆きの壁」 ウイキより
ローマにより破壊されたエルサレム神殿ですが、
唯一破壊を免れた西側の壁のことです。
コメント