で、これで収まればめっけもの。
多くの場合こんなんで神様は引っ込んでくれません。
そこで村の長老はこう言った。
長老「はあ、こんなものでは神様は堪忍してくれねえだ。
ここは一つ、オラたちが大事にしてるものを差し出さなくてはならねえだ。
与作!おめえの嫁ッコのおハナは村一番の器量よしだべ!
おハナを神様に差し出すだ!」
与作「冗談じゃねえべ!堪忍してくんろ!」
村の衆「それしかなかんべ、与作、村のみんなのためじゃ・・・。」
与作「いくらなんでもそりゃあんまりじゃ・・・。
おハナだって、首を縦には振らんじゃろ・・・。」
おハナ「あんた、オラ、行ってもいいだよ!村のためじゃ!」
与作「おハナ!」
おハナ「あんた!」
与作、おハナ、村の衆、長老、一同揃ってむせび泣く・・・。
お百度参りにせよお茶断ちにせよ人柱(ひとばしら)にせよ
あるいはアステカやインカの生贄儀式にせよ、
その背後にある考え方はこのようなものです。
もの言わじ 父は長柄(ながら)の 橋柱
鳴かずば雉子(きじ)も 射られざらまし
あるいは
我が父は 長良の川の ひとばしら
キジも鳴かずば 撃たれざらまし
など、いくつかのバリエーションがあるようですが、
有名な人柱伝説です。
このような人柱伝説は日本だけじゃなく、欧州、中国を始め世界中にあり、
橋をかけるときだけじゃなく城壁などを作る際にも
壁に生きたままのヒトを埋め込んだりするお話が数多く伝承されてます。
博覧強記の明治の学者、
南方熊楠(みなかたくまぐす)の書物にも多く書かれてます。
単なる伝説の場合もあるでしょうが、実話も多いと思います。
現代人から見れば明らかな迷信に属する行為ですが、
このような「迷信」自体が、
人類の「中途半端に頭が良い」という特性から発するものだと思います。
南方熊楠翁の図 ウイキより
センセが尊敬する御仁の一人です。
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