今月のウクライナ-96

トルコ・シリアは 5 万人に迫る勢い。大変です。
ロシアの「特別軍事作戦」は、24 日の金曜日で丁度 1 年を迎える。
もう 1 週間を切ったというのに、大攻勢とやらはどこに行った?
今やってるのがそれなのか?
飛行機をたくさん飛ばす、とかいううわさもあったが、
耳に入ってくるのは風船のハナシばっかりだ・・・。


さて、隋~唐も終わりましたので、
ここで北東アジア大陸のアジア系民族の展開について
まずは大雑把にまとめておきたいと思います。
YDNA のハプロタイプに基づいてお話していきますので、
今一度 YDNA をおさらいしておいてください。

まずは下図参照。

YDNA 230219.jpgYDNA に基づく人類の拡散  ウイキより


たぶん、この図は比較的最近の説に基づいて描かれたものかと思われます。
以前は北東アジア系は中央アジアからの北方ルートを通ってきた、
との考えが有力でしたが、
最近ではインドから東南アジアのスンダランドにまず渡り、
そこから何派にもわたって北上してきた、
という考えが主流となってきたようです。

過去ログの「今月の書評-37」でもお話したように、
縄文人の由来を考えても、この経路が最も自然だと思います。
「今月の書評-37」ではチベットで DE* が見つかったためにチベット経路か?
と一旦は考えましたが、
mtDNA の経路やアンダマン諸島の D を考えても、やはり南ルートが自然です。

で、最近の説では、CDON、揃って南方経路であるとのことです。
ただし、北米インディアンの Q は 欧州系の R から派生したハプロなので、
西から来ているみたいです。

東アジアに限ってお話すれば、
まずは少数の D1a2b がアンダマン諸島に分かれたのちに北上し、
西に向かった一派がチベットへ、
朝鮮半島から日本列島に移住した連中が縄文人に、
樺太から北海道に入ってきた連中がアイヌ人、となります。
最初の縄文人(というか縄文人の祖先ですが)が列島に来たのが
およそ 4 万年前。
その後に C2 の連中が現在のシベリアに拡散して行きます。

図では北海道への C2 の流入が描かれてますが、これはもっと時代が下って
粛慎(しゅくしん)の連中が北海道に来たことを意味しているのだと思います。
いわゆるオホーツク文化を残した連中です。

図ではバイカル湖周辺がインド、スンダランドに続く
揺籃の地みたいに描かれてます。
数多くのマンモスがうろついていた旧石器時代を考えると、
ここら辺から東シベリアにかけて、色んな部族がテント生活していたのかな?
イメージとしては、北米の草原インディアンみたいなカンジ。
バイカル湖周辺には欧州系の R の連中も居りました。
この時代、針やら細石器やらがここら辺で発明され、
その後に拡散していったのでしょう。

C2 のあと、スンダランドから O の連中がやってきて、
そこから N が分かれます。
OO1 系と O2 系に分かれ、
O1 系はさらにオーストロアジア系とオーストロネシア系に分かれて
それぞれ現在のベトナムと台湾先住民の祖先となります。
オーストロアジア系の一部は朝鮮半島に達し、
その後の倭人を形作っていきます。

O2 系は現在の華北を中心とし、
N は遼河地方あたりに主として居住したようです。
N の一派はさらに北進~西進し、シベリアからウラル山脈まで至り、
さらにこれを超えてスカンジナビア半島まで進出します。

C2 ですが、沿海州からバイカル湖周辺あたりまでの森林地帯で、
長らく狩猟採集生活をしていたのだと思います。
この頃に、後の時代で言うところの
ツングース系、モンゴル系、トルコ系の大体三派に分かれました。
この三派は言語学的には共通点もあり異なるところもありで
印欧語族のような明確な連関は言語学的には認められてはいないようですが、
三者ともに「私、ご飯を、食べる」の順番で、日本語や朝鮮語と同じです。
この語順はアイヌ語も同じ、ということから、
おそらく縄文語もそうであった可能性が高いです。

ということから、もともとの東アジアでは、「私、ご飯を、食べる」
の語順で話していた連中が多数であった、と考えられます。
O2 の中国人と O1 のベトナム人は「私、食べる、ご飯」ですので、
そこから分かれた N は、本来は「私、食べる、ご飯」と言ってたと思います。
現在のフィンの連中は「私、食べる、ご飯」ですが、
ハンガリーのマジャールではこれが混在している、とのことです。
他のウゴール系の語順に関しては、情報が得られませぬ・・・。
いずれにせよ、長らくC2 の連中と隣り合って暮らしていた N ですので、
両者は文化的な混交もまた多かったように思われます。
従いまして、N 本来の言語を見出すのはナカナカ困難です。

これは倭人も同じで、
「私、食べる、ご飯」であったオーストロアジア系の祖先は、
朝鮮半島時代に北方から来た連中の影響を受け、
「私、ご飯を、食べる」に変わった、と考えてます。
「今月の書評」シリーズ、再開したら再びこのお話に戻る予定です。

さて、シベリアの森林地帯で狩猟採集を行っていた C2 ですが、
その間に人類の中でも最も寒冷化に適応した人種となった、
ということも、過去ログ「今月の書評-49」でお話しました。
この適応に「トナカイの飼育と橇(そり)の発明があったのでは?」
との妄想に関しても、お話いたしました。

で、三者ともに典型的な言うところの「モンゴロイド」となりましたが、
西からはるばるやって来たスキタイの連中に影響され、
森林地帯での狩猟採集から草原地帯での遊牧に
大きく生活手段を変えることに成功したこともお話しました。

で、ここら辺から歴史時代の話となるわけですが、
戦国から秦~漢の時代にかけて書かれたと言われる山海経(せんがいきょう)に
丁零とか丁令とか丁霊とか書かれた「ていれい」族の話が出てきますが、
これがのちの突厥と同じトルコを指しているのは明らかです。

で、トルコ系で最初の戦闘的遊牧民となったのが匈奴(フンヌ)です。
で、匈奴が勢威を振るっていた頃は、丁令の連中はこれに従っておりました。
で、フンヌはトルコ~チュルクとは全く異なる音である一方で、
その後に威勢を振るう突厥はテュルクの音を模した言葉ですので、
結局トルコというのはトルコ系民族の一部族を表す言葉であった、
ということになります。
フンヌはトルコ系ではあるがトルコ部族出身ではない、ということですね!
これらのことから、
「トルコ部族は相当に古い歴史を有する一族である」、
と言えるかと思います。

この後にお話する予定ですが、従いまして、
ブルガールやハザールなどはフンヌと同じく
トルコ系民族に含まれるがトルコ部族ではない、ということです。

これはモンゴルに関しても全く同じで、
数あるモンゴル系部族の中でモンゴル族が最優勢となったがためにモンゴル系、
という言葉で一緒くたにくくられるようになっただけでなく、
同じ言葉でアジア人種までもくくられるようになったので
確かにこれは問題かな?とも思いますが、
同じような現象はエスキモーにもあり、
「エスキモー」という言葉がカナダインディアンの連中が言うところの
「生肉を食う連中」との言葉から来ていることから
これを「差別だ!」と感じた一部の人たち(エスキモーではありませぬ)が
代わりにイヌイットという言葉を使うようになりましたが、
これは数あるエスキモー族の一部族の名称に過ぎず、
これをもってして全体を表すのはいかがなものか、というご意見もありまして、
個人的には「♪どうでもいいですよ~」。

なんでこんなことを言い出したかと言うと、
この先、トルコ系とモンゴル系の拡充の時代を迎えるわけですが、
「トルコ」と「トルコ系」、「モンゴル」と「モンゴル系」、
という言葉の使い分けをハッキリさせておかないと、
結構混乱する可能性があるためです。
さらには現在の「トルコ共和国」を区別しなくてはならない場合もあり、
そのために、
しばしば「チュルク」という言葉を用いてトルコ系を表す場合もありで、
ナカナカ混乱します。

さらに時代がも少し下ると「タタール」などと呼ばれる連中も出てきて
これはさらなる混乱をもたらす言葉でして、
そのうちお話しますけど・・・。

ここでは、民族的に大きくくくる場合は「トルコ系」で統一します。
「モンゴル系」も同じです。