今月のウクライナ-94

F-16 に対しては速攻で「No!」と言い放ったバイデンでしたが、
どうやら射程の長いミサイルの供与を決めた模様です。
へルソンからだとクリミア半島北部まで届きますが、
セバストポリまではまだ足りない・・・。


さて、一度は天下を取った安禄山ですが、
あまりにも太りすぎたために糖尿病を患い、
失明に加えて、たぶん、おできや壊疽など出来まくって体はもうめちゃくちゃ。
で、757 年、帝位継承をめぐり、息子に殺されてしまいます。

渡辺徹の件もあるし、糖尿病、怖いですね!
痛風と並び、文字通り帝王病の名に値します。
キムくんも気をつけてくださいね。

この息子は安禄山の盟友であった史思明に殺されますが、
史思明もまた自分の息子に殺されてしまいます。
で、その息子は唐軍に味方したウイグル族によって殺され、
763 年、安史の乱は、ここにようやく平定されます。

玄宗皇帝は 756 年には帝位を譲り、乱の平定直前の 762 年、
貴妃の面影を胸に抱きながら、この世を去りました。 御年77 歳。
この時代としては、
特にコロコロと息子ちゃんにまで殺されがちな皇帝の地位にあった者としては、
長命であったと言えるでしょう・・・。

ウイグル族.jpg10 世紀頃のウイグル貴族  
http://www.art-and-archaeology.com/china/turpan/be04.html
というところから無断でお借りいたしました。domoarigato
現代のウイグル族とは相当に趣が異なります。
トルコ系はそもそも北方アジア人であったことを明白に物語る図ですね!
先頭のオトコは混血の度合いがやや高いようなカンジがしますが・・・。


ということでナントか乱を鎮めた唐ですが、
乱の首謀者である安禄山と史思明を始めとして、
それを鎮めたウイグル族の軍隊など、いずれも胡人が主役です。
これらの胡族を治めるために胡人を節度使に任命して使ってきた唐ですが、
胡族による節度使が力をつけて唐の言うことを聞かなくなると、
それに対抗するためにより忠誠的な節度使を新たに任命するとかして
混乱の度を深めていきます。

ここら辺の事情って、ゲルマン進入時のローマと良く似ています。
ゲルマンが結局はローマ化していくように、
胡族の連中も多くは中国化していきますが、
自らのアイデンティティにも大いに留意し、
独特の個性を持った胡族国家が、この先、生まれていくこととなります。

で、混乱の度を深めつつある唐の朝廷では宦官勢力の跳梁が甚だしく、
彼らの意にそぐわない皇帝はサッサと殺され、
新たに即位した皇帝でもこれも気に食わないとなればサッサと殺され、
という有様・・・。
これに加えて科挙系と貴族系の勢力争いも激しくなり、
さらには節度使の軍閥化~独立政権化も進んで、
もはや朝廷は単に中央に住まう一地方政府、の存在に堕してしまいます。
このような混乱に乗じ、
トルコ系のウイグル族やチベット系の吐蕃が強大となり、
吐蕃など、一時は長安を陥れただけでなく、
その後は広く西域諸国一帯を支配下におさめてしまいます。

吐蕃.jpg8 世紀後半の唐王朝周辺  ウイキより
回鶻はウイグル、カルルクはトルコ系の一部族、
南詔(なんしょう)はチベット・ビルマ系の国です。


ウイグルにせよチベットにせよ、
現在は中国共産党政府による扱いが問題化してますが、
歴史的には、このように大いに存在感を示していた時代もあったわけです。

このような状況下で生じたのが黄巣の乱(こうそうのらん)で、
これにより唐は、最後の息の根を止められてしまうこととなりました。