今月のウクライナ-93

嫉妬~権謀術数の渦巻く当時の唐王朝の政権内部では、
科挙系、貴族系、外戚系、宦官系などの連中が互いに徒党を組み、
対立する相手方を貶めることに日々汲々としておりました。
で、貴族系の一人である李林甫(り・りんぽ)という
超陰険なオトコが宰相となりますが、
彼の推薦により安禄山は節度使となったという経緯から
安禄山は李林甫には頭が上がらず、
彼が生きている間は猫をかぶっておりました。

その後、李林甫が死ぬと、
外戚系の楊国忠(よう・こくちゅう)が宰相となりますが、
彼は楊一族の一人で、早い話が玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛した結果
栄華を極めることとなった楊一族の一人に過ぎず、大した人物ではありませぬ。

で、安禄山は玄宗皇帝のお気に入りだし、北京の大軍閥でもあるということで
国忠としては安禄山は目の上の大きな「たんこぶ」そのもの。
ナントか彼を貶めようと皇帝に讒訴(ざんそ)を繰り返しますが、
ために安禄山は本拠とする北京に籠ってしまい、
皇帝が誘っても「楊国忠に殺されるう~~~!」と言ってナカナカ出てこない。
で、楊国忠が謀略を組んで彼を誘い出そうとしたところ、
事ここに至り、755 年、安禄山は挙兵!
長安の都に向けて進軍を開始します!

「漁陽ぎょよう鞞鼓へいこ地を動かして来たり 驚破きょうは霓裳羽衣げいしょうういの曲!」


安史の乱.jpg安禄山の進軍路  ウイキより


安禄山はそもそもが胡人であり、本拠地では兵~民衆にも人気があったようで、
やる気満々の多くの胡兵を率いて連戦連勝の勢い!
とうとう皇帝一族は長安の都を捨て、
遠く蜀の地を目指して落ち延びることとなります。

四川への途次、食べるものにも事欠くようになった皇帝一行に対し、
これに付きそう兵たちが「悪いのは楊国忠だ!」ということで、
馬嵬(ばかい:現在の陝西省咸陽市興平市)という所で彼を殺してしまいます。
勢いに乗り、「悪いのは楊一族だ!」ということで、
連中、付きそう楊家一族を皆殺し!

可哀そうな楊貴妃もまた、皇帝に最後の別れを告げたのち、
高位の宦官、高力氏(こう・りきし)の手によって、
絹の布で首を絞められて最後を迎えることとなりました・・・。

「君王面をおほひて救ひ得ず かえり看て血涙相和して流る・・・。」


楊貴妃の最後-2.jpg涙を誘う楊貴妃の最後。
苦労のせいか、最後は瘦せてしまいました・・・。
「希望之聲」という中国のサイトから無断でお借りいたしました。謝謝!  
https://www.soundofhope.org/post/652700?lang=b5
このサイトの記事によれば、楊貴妃は本当は死んでおらず、
日本に渡って、あの道鏡で有名な孝謙天皇に謁見し、
その後は京都で藤原の何某と結婚して幸せに暮らしました、とのことです。
で、その子孫が山口百恵であるという・・・。

マツコ・DX のような気がするが・・・。