今月のウクライナ-92

さて、玄宗が楊貴妃を見初めた時、
彼はすでに 60 に喃々とする歳であった・・・。
で、肝心の楊貴妃は、この時すでに玄宗の息子の嫁であった・・・。

なんじゃそりゃ?

ま、60 にしてリビドーに振り回される方々に対しては
センセの場合はひたすら尊敬の念を抱くだけですが、
息子の嫁を取り上げるというのは、それはいくら皇帝であってもヤバイでしょ?

で、皇帝、彼女を一旦道教の尼僧として息子と離縁した形とし、
改めて後宮の最高位、すなわち貴妃に任命して、寵愛することにした。
その結果、ここに漸くにして、楊・貴妃が誕生することとなりますが、
こんな調子だから誰もかれも皇帝~女帝になりたがるのでしょうね!納得!

で、「ひとみめぐらして一笑すれば百媚ひゃくび生じ  六宮りくきゅう粉黛ふんたい顔色がんしょく無し」
ということで、程なく、「此れり君王早朝せず」の状況となってしまいます。

楊貴妃-1.jpg壁画に描かれた楊貴妃。年代不詳。  ウイキより
一応、普通のイメージとしてはこんなカンジかと・・・。


楊貴妃-2.jpg時代考証を重ねた結果、到達した楊貴妃。
唐の時代はしもぶくれ顔がもてはやされ、また、
楊貴妃自体、相当に肥満していたとのことなので、
個人的には、まず間違いなく、こちらの方が実態に近い、と思ってます。
「この時代に生まれてさえいれば、今頃は・・・。」
と思っている現代女性も多かろう、と思いますが・・・。
中国の三立新聞網のサイトより無断でお借りしました。謝謝!
サイトでは、楊貴と記されてます WWW。さすが漢字の国ですね!
https://tw.news.yahoo.com/%E9%82%84%E5%8E%9F%E6%A5%8A%E8%B2%B4%E5%A6%83100-%E6%A3%89%E8%8A%B1%E7%B3%96%E5%A5%B3%E5%AD%A9%E7%88%86%E7%B4%85-155518469.html?guccounter


で、玄宗皇帝と楊貴妃の痴話話なんぞはどうでもいいので、
話はいきなり「安史の乱」に移ります。

安史の乱の安史は安禄山(あんろくざん)の安と
その相棒の史思明(ししめい)の史を合わせた名前です。
両者ともに突厥とソグド人との混血で、
以前に述べた唐の対外政策である羈縻政策の申し子ともいえる人物です。

安禄山は頭が良いだけでなく非常に愛嬌のある人物であったようで、
当初は西域などから来る商品の仲買人だったらしいのですが、
様々な民族からなる西域の異なる言語を駆使して頭角を現し始め、
機転の利く性格から当時の北京の節度使(せつどし)にも可愛がられ、
自身が節度使になるだけでなく、
程なく現在の北京から遼寧省を含む地域の軍事~行政を任され、
玄宗皇帝の覚えも目出度く、
あっという間に大軍閥の総帥みたいな地位に登る詰めることとなりました。

ここら辺の事情は戦前の満州軍閥、張作霖なんかとよく似ていますね!
節度使に関してはググってくだされ!

で、安禄山、愛嬌のある性格であっただけでなく、
体格も相当に太っていたとのことで、玄宗から
「お前のお腹の中には一体何が詰まっておるのじゃ?」と問われると、安禄山、
「皇帝に対する赤心(まごころ)がいっぱい詰まっております」と答えるなど
あ、こりゃ確かに役者やのお~~~、
チョンワチョンワ~~~!クエッ、クエッ、クエッ~~~!

その後、
詰まっていたのは真っ黒いアブラだったことが判明するのですが・・・。

そんな膝まで垂れ下がるような腹をもった安禄山は楊貴妃にも可愛がられ、
楊貴妃は安禄山に赤ん坊の着物を着せ、
全く想像したくもありませんが、
自分は母親の役を演じて互いに赤ちゃんごっこに興じたり、
これを玄宗は微笑ましく眺めるなどしてしょーもないこと限りナシ!
どうやらここら辺から退廃の色が濃くなってきます。

で、当然、実務を担う宰相からは睨まれることとなり、
安禄山 vs 宰相の構図から、長安には不穏な空気が漂い始めることとなります。