今月のウクライナ-85

さて、突厥です。
突厥は日本語読みではとっけつ、あるいはとっくつですが、
当時の中国音ではチュルクに近く、
要するに、現代日本人が言うところのトルコそのまま、ということらしいです。
突厥の前にも
鉄勒(てつろく)とか丁零(ていれい)とか呼ばれた連中が居ますが、
みなトルコです。音も同じようなものですね。

トルコ人と言えば、今ではイスタンブール辺りで結構幅を利かしてますし、
そこの大統領に至っては
「ウクライナとロシアを仲裁できるのは、このワシだけじゃ」
みたいな顔してますが、
昔は南シベリア~北モンゴル~アルタイ周辺で羊を飼う生活を送ってました。
連中、遊牧だけでなく鉄の鍛造技術に長けていたようで、
おかげで柔然が勢威を誇っていた頃は彼らの「鉄製品製造専門部族」として
顎でこき使われる惨めな生活を送っていたようです。

で、この時代の戦闘的遊牧民国家はみんなそうですが、
強大になって周辺部族を制圧するようになると
これらの部族をほとんど奴隷扱いし、過酷な税を徴収し、
戦闘では戦士として徴用するなど、
「力」による圧制を行うのが常でした。

で、当然反感を買うこととなります。

力が強大であるうちは抑え込むことも出来ますが、
何らかの原因で勢力が衰え始めると、
たちまち一斉に反逆の嵐が巻き起こります。
毎回毎回同じパターンです。学習することを知りません。
もちろん、戦闘的遊牧民だけのお話ではありませんが・・・。

で、5 世紀後半ころには、
トルコ系の高車(トカラ系との説もあり〼)などの部族が反旗を翻した結果、
柔然は彼らに対する締め付けをある程度緩和するようになります。
結果、鍛鉄製造係の突厥は、これまで柔然に収めていた鉄製品などを
中国の西魏などに持ち込むようになり、貿易などで力を付け始めます。

で、その後、土門(ブミン)という名のオトコが柔然の軍と戦って大勝し、
土門は名を伊利可汗(いり・かがん)と改め、
ここに突厥可汗国を打ち立てることとなりました。552 年のことです。

その後、木汗(ムカン)というオトコが可汗となり、
弱体化した柔然にさらにダメを押した結果、
柔然の残党は北斉(東魏の後継国家)に逃亡。
木汗可汗はさらに西ではエフタルを、
東では満州に興った契丹(きったん)を破り、
北では契骨(キルギス)を併合するなど、諸部族を次々と征服!
これにより突厥の版図は満州からアラル海に至り、
ほぼほぼ柔然を踏襲する大国となりました。

結果、柔然は追われて欧州に雪崩れ込むことになったのは、
以前にお話した通りです。

突厥-1.jpg6 世紀の突厥可汗国。  「世界史の窓」様より無断でお借りしました。
https://www.y-history.net/appendix/wh0302-076.html
有難うございました。