今月のウクライナ-80

日本勢、ブラボーでした!
次は、まずは 8 強入りを目指して欲しいです!

渡辺徹の急死、これにも驚きました。
糖尿病、あるいは生活習慣病の怖さを改めて思い知らされました。
「ヒトを含む生命体の本来の生活環境は過酷なものである。
それに適応して進化してきた生命体が
突然、恵まれた環境に放り込まれるとどうなるか?」
という問題に対しての答えの一つが、生活習慣病です。
本来の生活環境においては自制する必要のない事象に関して
恵まれた環境では逆に自制が必要となるわけですが、
これがストレスを生む要因の一つとなり、
そのストレスが、不自然な行為を継続する原因となってしまいます。
倒錯、と言っても良いかもしれません。
逆説的で、興味深いです。

昨日の「地球ドラマチック」、声が変わってました。
郁恵さんには、掛ける言葉もありません。
合掌・・・。


さて、フランク王国の王となったカロリング朝の創設者、ピピン三世ですが、
ピピンの寄進などを通してローマ教皇に対して「貸し」を作っていきます。
で、彼の息子のカール 1 世(カール大帝)の時代には
フランク王国は最盛期を迎えることとなり、
西暦 800 年、ローマ教皇のレオ3世により、サン・ピエトロ寺院において、
カール1世は皇帝に戴冠されることとなります。
この一件により、「神が皇帝の権力を担保した」と位置付けられ、
フランクの王=キリスト教の守護者、と見なされていくこととなります。

また、このカール 1 世の戴冠をもってして「神聖ローマ帝国」の誕生
と定義する向きもありますが、
962年オットー1世の戴冠を神聖ローマ帝国の始まりと見なす向きもあります。
どっちでもいいです。

因みに、カール=シャルル=チャールズです。

カール大帝.jpgカール大帝の像  ウイキより
どれもこれも似たようなのばっかしですね。
歴代の中国の皇帝は頭に「すだれ」を乗せてるのが多いですが、
こちらは「クラウン」です。

トヨペットではありませぬ・・・。


いずれにしましても、カール 1 世としては、フランクの王というよりも、
「我こそが、あの偉大なるローマ帝国を継ぐ者であり、
キリスト教の守護人である!」との意識の方が強かったと思います。
従いまして、ここにおいて
偉大なるローマ帝国の文化とキリスト教とゲルマン族とが融合し、
これが現在に続く欧州の礎(いしずえ)となった、
と見て大きな間違いはないと思います。
これに上書きする形で、スラブとかイスラムとか、あるいはアメリカとかが
影響を及ぼしてきたのが現代の我々が見ている欧州の姿、
と言えるかと思います。

その後、
フランク王国は西フランク、東フランク、中フランクに分裂し、
さらに中フランクからはイタリアが分離していきます。
その結果、それぞれが現代のフランス、ドイツ、イタリアの三国の基礎
となっていきます。
西フランクはそのまま継続的にカロリング朝のフランス王国となりますが、
東フランクは北イタリアを包含し、
いわゆる「神聖ローマ帝国」となっていきます。

ここら辺の時代から、
フランス人、ドイツ人、イタリア人の意識が生じてくるのかな?
とも思いましたが、国民意識というのは
その後の近代国家の枠組みから生じた概念だと思いますので、
当時の一般民衆などは
「おらはどこそこのご領主様に属するペートルだあ~よ」
くらいのもんだったんでしょう・・・。
行政を司る貴族連もまたお仕えする王様~ご領主様しか見えず、
フランス人、ドイツ人、イタリア人の感覚は無かったと思います。

なぜ敢えてこんなことを書くのかと言うと、
現代の我々が歴史を振り返る時には、どうしても、
無意識的に現代の国民意識で物事を見てしまう傾向があるためです。
お隣の国が日本文化を自国由来のものに結びつけたがる傾向にあるのも、
一つにはこのためです。
日本は、戦後の一時期を除き、他国の占領下に置かれた経験が無いので、
ヤマト政権の頃から、
国家としてのアイデンティティーが揺らぐことはありませんでした。
封建時代に入って「おらのご領主さま」の時代となっても、
日本国という一段高い存在への帰属意識はあったと思います。
しかしながら、
頻繁に領域~支配者が変化する大陸国家の歴史を調べれば調べるほど、
これが極めて例外的なことであることに気づかされます。
そいういう意味においても、
現代欧州諸国の国民としてのアイデンティティーが
どのような過程を経て形成されてきたのか、
これを調べていくのはとても重要だと考えてます。

さて、当初はゲルマン系の言葉を話していたフランク族ですが、
ガリアの地に数多く居住していたローマ人の影響をもろに受け、
話し言葉もだんだんとローマ化していきます。
このように、
当時のフランクで話されていたローマ化したゲルマン言語がロマンス語ですが、
これが現在のフランス語の元となっていきます。
さらにはカロリング朝の時代には
行政やカトリックの教義ではガチガチの正統的ラテン語を用いましょう!
とする運動が生じ、結果、話し言葉と書き言葉の乖離(かいり)が生じます。
イギリスのチャーチル元首相の回顧録には
「学校でのラテン語の授業にはホトホト閉口した」というお話が出てきますが、
大陸から離れたイギリスにおいてすら
後々の世に至るまでラテン語の授業が延々と続けられた根底には
やはりローマとキリスト教が横たわっていた、ということなんでしょうね!

で、カール大帝などは、未だにキリスト教に改宗しない北方の蛮族、
後の神聖ローマ帝国を形成するゲルマンの連中ですが、
彼らを相手に「改宗か、さもなくば死か!」と、
イスラムのお株を奪うような宗教戦争に打って出ます。

ついこの前まで同族だったくせに・・・。

で、おかげさんで、今ではほとんどのドイツ人は、新旧いずれにせよ、
クリスチャンとなっております。
時代が下ると「新か、旧か!」を巡って
血なまぐさい争いが 30 年も続くことになりますが・・・。

ということで、ことによると、
フランス人、ドイツ人、イタリア人を作り出した原動力の一つとして
ローマ化の程度」が挙げられるのかな?と思います。
もちろんこれにスペイン人を加えても OK です。
東ローマ帝国ともなると、
逆にローマ人はギリシャ化=ヘレニズム化していきますが、
その後にバルカンはスラブ化し、さらにイスラム化が加わり・・・
というカンジで、やっぱし歴史~民族学~人類学は面白い!
と、一人で感心しております。

次回からは極東に端を発する超興味深い連中が登場します!