今月のウクライナ-78

中世欧州の成り立ち=フランク王国の成り立ち、と考えて OK かと。
で、見ていきます。

当初、他のゲルマン部族と同様、西ローマ帝国領域に侵入して
略奪の限りを尽くしていたフランクの諸部族ですが、
そのうちローマ皇帝に飼いならされて番犬化していき、
他のゲルマンやフン族の侵入に対してローマを守る形となっていきます。

情けないですね!ヴァンダルあたりを見習えと・・・。

で、それぞれが領地を与えられて小王国が林立するようになりますが、
そのうちの一国が頭角を現し、巨大化していきます。
この時登場したのがクローヴィス 1 世で、教科書でおなじみの
メロヴィング朝の創始者です。西暦 481 年の時です。

クローヴィス一世.jpgクローヴィス 1 世  ウイキより
王冠を頂いた、絵に描いたような中世ヨーロッパの「王様」像です。
絵に描いてあるわけですが・・・。
中世ヨーロッパ、しばらくこんなカンジが延々と続きます・・・。


諸部族、諸王国との争いに次々と勝利していったクローヴィスですが、
隣国のブルグント国の王族の娘とめでたく結婚することとなります。
既にカトリックに改宗していた新妻の影響からか、
率いる 3000 名の部下の兵士と共にカトリックの洗礼を受け、
ここに強力なカトリック軍団が成立します。西暦 496 年の時です。

その後、南ガリアに勢力を拡大していた西ゴート王国を破り、
西ゴートはピレネー山脈を越えてイベリア半島に押し込められます。
この結果、ガリアは統一され、東ローマの皇帝からクローヴィスに対して
西ローマの執政官としての任命状が与えられた結果、
ローマお墨付きのフランク王国がここに正式に成立することとなりました。
西暦 508 年頃のお話です。

要するに、フランク族はローマから領土をかすめ取ったというよりも、
ローマ皇帝から信任され、代官として代わりに統治を任された、
というニュアンスが強いのかな?と感じます。
その信任にはクローヴィスがカトリックに改宗したことが大きいでしょうし、
ガリアに数多く居たローマ人やローマ文化の影響もまた大きかったのだ、
とも思います。
その後のフランクの展開を見るにつけ、
彼らは自らゲルマン色を薄め、積極的にローマ化~キリスト教化していった、
と思われます。

「文明は高きから低きへと流る」、ということです。