今月のウクライナ-54

さて、三国時代のお話は吉川英治先生におまかせしますので、
今回はいきなり五丈原の戦いで諸葛孔明が死ぬ場面から始まります。
いろいろと節目なので・・・。

諸葛孔明.jpg諸葛亮(しょかつ・りょう)孔明 ウイキより
吉川英治の三国志の挿絵とは印象が違いますね。
こちらの方は、頭にロールチョコパンを乗せてます。
好きだったんだしょうね、ロールチョコパン。


魏王の曹操は紀元 220 年に死去しますが、
息子さんが跡を継いで魏王となっただけでなく、
後漢最後の皇帝から皇帝の位を禅譲(ぜんじょう)され、
ここにめでたく正式に「」の皇帝が誕生します。
日本の卑弥呼さんの時代です。

で、蜀の名将、諸葛亮孔明は有名な出師の表(すいしのひょう)を書いて
魏の討伐に打って出ます。
魏の将軍は司馬懿(しば・い)、字(あざな)は仲達(ちゅうたつ)。
これもナカナカのオトコです。
で、紀元 234 年、軍陣で病に倒れた孔明。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言うことでしぶといわけですが、
孔明なき後の蜀は、263 年、魏によって滅ぼされます。
ちなみに南の呉は 280 年に「」によって滅ぼされます。
今回からはしばらく、
晋の時代から五胡十六国の時代までを簡単にお話いたします。

諸葛孔明との戦いで勝った司馬懿ですが、曹操の信頼篤い実力者でありました。
おかげで魏の実権を一手に握ることとなった司馬一族ですが、
孫の司馬炎(しば・えん)の時に魏の最後の皇帝から位を譲られ(禅譲)、
265 年、ここに「晋」の初代皇帝である武帝となります。

このような禅譲の形式は「革命」と呼ばれますが、
共産党革命などの革命とは大きく異なります。
面白いけどどうでもよい話なので、各自でググって下され!
禅譲=手の込んだ茶番劇、と覚えていただければ OK 牧場です。

さて、漢の時代は儒教が国家の精神的支柱として唱えられた時代ですが、
魏~晋の時代となると、西域より仏教が本格的に伝わってきます。
大月氏が打ち立てた国であるクシャーナ朝の時代に相当します。
いわゆるシルクロードの中枢を押さえていたクシャーナ朝ですが、
カニシカ王の時代に優勢となった仏教は、
ガンダーラ様式の仏像などと共に、中央アジアから東アジアにかけて
大きく勢力を伸ばすこととなりました。
当時の仏教徒は、従いまして、人種的には多くがコーカソイド。
現代の日本人から見ると違和感がありますが、
センセが若かった 60 年代の頃には
黄色の衣(ころも)を着て頭をそってタイコを首からぶら下げた青い目の一団が
新宿とかで「♪ハリクリシュナ~ハ~リハ~リ」なんて歌いながら踊ってました。
いわゆるヒッピー文化華やかなりし時代です。

ハリクリシュナって仏教じゃないけど、
連中にとってはどうでも良かったみたいです。