今月のウクライナ-53

さて、ウクライナ戦線ですが、ウクライナ軍の優勢が伝えられています。
但し、破竹の進撃、とまでは行かない状況みたいです。

ロシアからは相変わらず
「新興財閥が謎の死を遂げた」とか、
「囚人を徴兵している」とか、
「元兵士の亡命が相次いでいる」とかの情報が流れてきます。

プーチンは天然ガス供給制限を本格的に行う可能性がありますので、
西側欧州市民がこの冬を乗り切ることができれば、
来春にはウクライナが有利な状況で停戦交渉、という見方もできるかも・・・。
天然ガス供給制限はプーチンにとっては諸刃の剣、
という側面もありますので・・・。


さて、王莽(おうもう)による「新」王朝ですが、
赤眉の乱(せきびのらん)が発生してあっけなく滅びます。
現在のパレスチナ自治区にあるベツレヘムという町で
イエス・キリストとかジーザス・クライストとかその他とか、
そんな名前で呼ばれる方が生まれて 23 年経ったころのことです。

で、この民衆の反乱を鎮圧して後漢を打ち立てたのが光武帝(こうぶてい)。

福岡県の志賀島から発見されたのが、
漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)の銘で有名な金印ですが、
これを当時の倭の奴の国王に与えたのが光武帝、と考えられています。

光武帝.jpg光武帝の図  ウイキより

金印.jpg
志賀島から江戸時代に奇跡的に出土した金印  ウイキより


後漢初期には儒教を主体とした徳治政治を行って国も安定し、
後漢は隆盛を迎えることとなります。
匈奴の連中も南北に分裂し、南匈奴は後漢に味方して、
北匈奴を圧迫するようになります。
西域諸国への影響力も強まり、版図も大きく広がることとなりました。

蔡倫(さいりん)による製紙術の発明も後漢の時代です。

で、好事魔多し!ということで、ご多分に漏れず、
宦官(かんがん)とか外戚(がいせき)とかの弊害が生じるようになり、
一時は衰退した北匈奴も力を盛り返して西域諸国は匈奴に服するなど、
後漢も衰退に向かうこととなってしまいます。
そんな中、紀元 184 年あたりに出てくるのが、あの黄巾(こうきん)の乱。

以降の物語は吉川英治の「三国志」に生き生きと描かれていますので、
もはやここで述べるまでもありますまい!

センセも中学生のころには夢中になって読んでました。
あの三部作の分厚いやつ・・・。
中学生の頃はまだまだ真面目なセンセでしたので、
カバンに重たい一冊を忍ばせて、休み時間などに読みふけっておりました。
当時のセンセは歴史研究部、略して「歴研」の優秀なる部員でしたので WWW、
将来は東アジア史の研究者になるのだ!などと考えたりもしてましたが、
その後にジョン・レノンの音楽に出会った結果、
大きく道を外す羽目に陥ってしまいました・・・。

ホント、HD (Horse & Deer) ですね!