今月のウクライナ-46

さて、春秋戦国の頃までの中央アジアは印欧語族が優越する世界であった、
というお話をしました。
具体的には、トカラ系の月氏とかアーリア系のサカ・スキタイとかが
現在の中国甘粛省~モンゴル~シベリアまで席巻しておりました。

で、秦が統一帝国を築く頃、当時の中国人言うところの
西戎 (せいじゅう) とか北狄 (ほくてき) とかの連中がいたわけですが、
多くは農民であったり牧畜したり狩りをしたりの弱小部族でありました。

ところがその中で、
モンゴル高原を拠点として急速に勢力を拡大してきた部族がありました。
それが、匈奴(きょうど、フンヌ~ヒュンヌ)です。

匈奴の出自ですが、
モンゴル系なのかトルコ系なのかはたまた印欧系なのか、
必ずしも明らかではありません。
遼河文明を築いた連中との関連を指摘する向きもありますが、
印欧系ではない!とは思います。
常識的にはモンゴル系かトルコ系のどちらかだと思いますが、
個人的には「トルコ系なのでは?」と考えてます。

トルコ語とモンゴル語は、両者共に、
いわゆるアルタイ語族 (アルタイ諸語) に属する言語で、
日本語と同じく「私 ご飯 食べる」の語順を持つ言葉です。
けれども、数詞やその他、いわゆる基本語彙が大きく異なるため、
同族には分類されません。
しかしながら、中央アジアの歴史においては、
この両者は常に隣通しでよく言えば切磋琢磨、
悪く言えば互いにケンカばっかししてる連中なので、
互いに貸し借りした言葉もたくさんあるようです。

匈奴に関しては、
例の司馬遷の史記の中に多くの記述があるわけですから
これらの言葉からトルコ系なのかモンゴル系なのか分かりそうなものですが、
先に述べた理由から、現在においても必ずしも明白ではないとのことです。

で、それはさておき、恐らくですが、
彼らは元々はモンゴル北部からバイカル湖周辺で
狩猟~漁労を行っていた連中なんだと思います。
で、そこで彼らが出会ったのがサカ・スキタイの遊牧民で、
彼らの「馬を駆って羊を追って戦いに明け暮れる」生活に魅せられ、
遊牧民に宗旨替えしたのです!ホントか!?!?

ホントです。たぶん。
ホントだと思うぞ!・・・たぶん・・・。

というのは、基本的に、
モンゴル高原の匈奴から中央アジアを経てウクライナに至るまで押しなべて、
同じようなスキタイ風と呼ぶべき生活様式~文化様式が認められるからです。
で、時系列的にはスキタイの方が古く、また、以前に述べたように、
サカ・スキタイの故地はアルタイ周辺にアルタイ!と思われるので、
匈奴はサカ・スキタイの影響のもとに生まれた、
と考えるのが自然です。