今月のウクライナ-30

原印欧語族の連中が世界史に華々しく登場するためには、
半狩猟半農半牧畜半遊牧生活なんちゅうまだるっこしい生活様式を
送っていたのではいけませぬ!
ここはやっぱり遊牧民、特に戦闘的遊牧民になってもらわねば
世界史の先生たちも困ります!

ということで、
今回は半農半牧畜から完全遊牧に移行する過程を考えてみたいと思います。

モンゴル平原.jpgモンゴル平原 China Highlights 様より 
https://www.arachina.com/inner-mongolia/


よくよく考えれば、日本という国においては、縄文~旧石器の昔から、
ただの一人も遊牧民と呼ばれる人々は存在しませんでした。
放牧を生業とする方々は、古来より日本にもたくさん居ります。
遊牧と放牧、まずはいったいどこが違うのか?

遊牧は戸外のオープンスペースで家畜を育て、
そこに自然に生えている草本類を与えて飼育し、
その結果得られる乳や毛や肉などを利用して生活する様式です。
従いまして、家畜に合わせてヒトが移動します。

放牧は、基本的に、小屋などで家畜を飼育して飼育主が餌を与え、
ときおりは、限定的ではあるが一定の広がりを持つ牧場などに家畜を放ち、
そこに自然に生えている草なども与えて育てる、
という違いでしょうか。
従いまして、放牧においては、ヒトも家畜も定住します。

近代的な土地所有の概念の有無、というのも、
遊牧と現代の大規模な放牧事業を分ける点であるかとも思います。

ちょいと考えてみれば分かると思いますけど、
遊牧って、非常に大変な生き様です。
羊にせよ牛にせよ何にせよ、基本、これらは「元手(もとで)」です。
これを屠って(ほふって)肉として食べるのは元手を失うことを意味します。
ですので、基本、元手に手を付けるのは、
お祝いのときとかお客様が来た時とかの、特別な場合に限られます。
もちろん、余裕のあるときは肉の余剰も生まれるでしょうけど・・・。
普段は「利息」、すなわち乳や毛、ある部族の場合は「血」や「尿」も、
利息として彼らから分けてもらい、それで生活するわけです。
で、人間を一人養うために必要な家畜の数を考えると、
センセが考えたのじゃなくて専門家の方が考えたのですけど、
羊の場合で一人当たり最低 50 頭、一家族で 200 ~ 300 頭は必要で、
「も少しゆとりのある生活をしたいわ~」
と奥さんにせがまれた場合は 500 頭レベルに跳ね上がる、とのことです。

で、一家族で暮らすわけにもいかないですから、
数家族が身を寄せ合ってグループを作る場合は、
以上の数値は一気に数千頭の単位となってしまいます。
これらの数の家畜を養える土地というものがどういう場所なのか、
もうお分かりかと思われますが、ユーラシア大陸においては、
中欧ヨーロッパからウクライナを通ってモンゴル平原を抜け、
最終的に満州平原に至る、あの広大な土地しか適所はありません。

で、遊牧民だって別に遊牧しなくても良かったんじゃないのか?
と考えるのも合理的だと思います。
しかしながら、上記ユーラシアの大草原、いわゆるステップですが、
基本、降雨量が少ないので、少なくとも古代においては、
作物栽培は不利~不可能でありました。
従いまして、遊牧をするか、
従来通りの半狩猟半農半牧畜的生活を継続するか、
選択を迫られた状況があったのじゃなかろうか、と思います。

で、家畜の数だけでなく、
そもそも乳や毛や血などの利息を利用するアイデアは
「牧畜」において生まれた、と考えられています。
現代人にとって牛乳とはスーパーに行けばいつもあるものですし、
センセを含めたちょい昔の方々にとっては
「朝起きて玄関先で新聞と一緒に持ってくるもの」のイメージです。
しかしながらよくよく考えると、
お乳って、子供が生まれたら出るものです。
牛も羊もヤギも馬もヤクもラクダもヒトも、皆同じです。
ですので、
一年を通してお乳を得るためには家畜の交配に関する知識と技術が必要で、
これに加えて、生まれた子供に飲ませると自分たちの分が無くなる一方で、
子供に飲ませなければ家畜の数は増えないわけでして、
微妙な手加減が必要とされる、ジレンマの局面です。

これらの知識と技術は牧畜の発明によってまずは得られたようで、
ステップの大草原を利用してこれを大規模化したのが遊牧、
というのが正解のようです。
ですので、まずは農業が発明され、
次に麦藁(むぎわら)などの有効利用を考えた結果、牧畜が発明され、
牧畜も初めは犂(すき)や荷車を引かせるために牛やロバなどが飼われ、
次に牛やヤギの乳を飲用として利用することを考え出し、
さらには羊の毛や肉を利用し始め、
最後に、当時の農耕にはあまり適していなかったが
家畜の餌としては有効な草本類がただで無尽蔵に得られるステップにおいて、
最終的に牧畜の大規模化である遊牧が行われるようになった、
という流れが考えられます。
考古学的にも、この順番が裏付けられているようです。