狩猟採集民であった原印欧語族の連中は当初は農耕~牧畜を受け入れず、
相変わらずの狩猟生活を送っていたらしいのですが、
やがてそのうち受け入れ、麦と牛を主体とした農牧生活を開始しました。
おおよそ紀元前 5000 年くらい前のこと、と考えられています。
その後、紀元前 4000~3000 年くらいになると銅器~青銅器も伝わり、
黒海北岸からウラル山脈まで広がる草原地帯は一気に文明化し始めていきます。
これがヤムナ文化と呼ばれる生活様式で、
人々は半狩猟半農半牧畜半遊牧生活という
複合的かつステップに適応した移動性に富んだ生活様式を送っていたようです。
飼育していた動物も、牛、馬、ヤギ、羊など、多岐にわたり、
出土する骨から、「オーロックス、アカシカ、サイガ、オナガー、イノシシ、
アナグマ、カワウソ、オオカミ、キツネ、コサックギツネ、ノウサギ、
ビーバーを狩り、魚とリクガメを獲っていた」ことが分かるとのことです。
以上、カッコはウイキからの引用です。
ウクライナに訪れた初の文明です!
すでに馬への騎乗は行われていたようですが、
荷物の運搬には牛車が使われていたようで、
有名な二輪の「戦車」などは未だ発明されていなかったようです。
「車輪」を付けた荷車による運搬はすでに中東で発明されていましたが、
この時代は未だ「スポーク」の無い、
頑丈な板を組み合わせて円形にしたような車輪を用いていたようです。
また、騎乗の場合も「銜(ハミ)」による制御があったかどうか、不明です。
ハミに関しては、ググって下され!
ハミによる馬の制御が発明される以前は、
馬の背中ではなく腰の部分にまたがって
馬の鼻先をひもでねじって制御する方法がとられていたようです。
相当不安定なカンジがしますし、馬が怒って暴れたらオシマイです!
で、例のクルガン形式のお墓を築いていたヤムナ文化の連中は、その後、
黒海北岸から東西に向かって延々と広がるステップ地域において、
その機動性を生かし、拡散していきます。
ヤムナ文化の遺跡から出土した人骨から得られた DNA を分析した結果、
そのほとんどが R1b の YDNA ハプロタイプを有していたことから、
彼らが原印欧語族そのものであったことは明らかです。
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