今月のウクライナ-8

チェルノブイリ原発、電源停止するもベラルーシが供給!?
ルカシェンコ、「そろそろ南風の季節だし・・・」

ウクライナ、対ロシア軍にトルコ製ドローンが大活躍!
エルドアン、「よかったら S - 400 を使ってもいいよ!」

ロシア、撤退外国系企業の資産を差し押さえか!?
プーチン、「これからはマクドナルドでピロシキを売り出す!」

韓国大統領選、保守系候補が勝利!
ムン前大統領、慣例に従い、堀の中か崖の縁か、あるいは他の道を選ぶか!?
ムン氏、「ワシ、あみだ苦手じゃから・・・


さて、フィンランドです。一気に行きます。
ソ連領内でのドイツ軍の攻勢に陰りが見え始めると、
フィンランドは難しい立場に立たされることとなりました。
すなわち、ナチズムとは無縁なフィンランド軍ですので、
ヒトラーと心中する気は毛頭ありません。
このままドイツが敗北した場合、
連合国、特にソ連による報復は目に見えています。

フィンランド政府は秘密裏にソ連側と交渉を持ちますが、
とても飲むことのできない過酷な条件を突き付けられます。
同時に、ソ連に対する単独講和の動きを知ったドイツは激怒し、
フィンランドへの食料の供給を停止!
国内は食糧危機の状況に陥ります!

そうこうしているうちに、
大反撃をかけてドイツ軍を押し戻したソ連軍は、
これまで見たこともないような数の軍勢をフィンランド国境に集め、
再び侵攻を開始します。
フィンランド政府は一計を案じ、
うまいことドイツから武器弾薬を取り付けるのに成功した結果、
マン将軍率いるフィンランド軍は、
ここでも何とかソ連の攻撃を持ちこたえることに成功します。

1944 年 6 月 6 日、
フランスのノルマンディー海岸に上陸したアメリカを中心とする西側連合軍は、
ドイツの首都、ベルリンに向けて進軍を開始します。
西側にドイツの首都を押さえられたくないスターリンは、
フィンランド戦線から一部の部隊を引き抜き、
ドイツ領に向かわせます。

ここで一息ついたフィンランド。
1944 年 8 月、議会は、マンネルヘイム将軍を全会一致で大統領に選出します。
マン大統領は、
先にドイツから武器供与を受けるために取り決めた約束を反故とし、
ドイツとの関係を断絶!
ドイツ軍のフィンランドからの撤退を要求すると同時に
モスクワとの和平工作を再開し、
ソ連側から示された過酷な講和条件を受け入れることによって、
国土全体をソ連占領下に置くことを避けることに、からくも成功しました。

その後、ラップランドと呼ばれる北西部において、
かつての友軍であるドイツ軍の一部との間で激しい戦闘が起き、
両者共に少なからぬ損害を被ることとなりますが、
この戦いがフィンランドの最後の戦いとなり、
程なく、マン将軍は総司令官の地位を去ることとなります。

最終的に、フィンランドは
領土の割譲に加えて巨額な賠償金を負うこととなっただけでなく、
ドイツ降伏後は、ソ連主導による戦争犯罪裁判により
8 名の政治指導者らが刑に服することとなります。

興味深いことに、マンネルヘイムは訴追を免れました。
満州事変の立役者である日本の石原莞爾も
東京裁判で訴えられることがなかったわけですが、
個人的には、両者相通じるものがあるように感じます。

戦後は、東欧諸国と同様にソ連との友好条約を強制的に結ばされ、
閣僚にもソ連の息のかかった共産党員が何人も送り込まれて
あやうく東欧諸国の二の舞を演じる瀬戸際まで追い詰められましたが、
結局、共産主義嫌いの大多数の国民の前にスターリンも諦め、
ソ連の衛星国となる命運から免れることとなりました。

1946 年、マンネルヘイムは大統領職を辞した後、
1950 年、84 歳の生涯を閉じることとなります。

マンネルヘイム銅像.jpg       ヘルシンキのマンネルヘイム博物館にある銅像
       ベビーキッズTV 様より https://babykids.jp/mannerheim-museum


その後もソ連の存在はフィンランドに長く影を落とし、
大国間の争いからともかく身を置きたいとの強い願望により、
NATO にもワルシャワ条約機構にも加盟せず、
中立を維持しつつもソ連との争いを避ける路線を取り続けるという
いわゆる「フィンランド化」の時代が長く続くこととなりました。



フィンランドは長らくスウエーデンの支配下にあり、
言語を含めて幾度となく「スウエーデン化」の危機に晒されてきました。
マンネルヘイム将軍も、名前から察するように、スウエーデン貴族の出身です。

その後は帝政ロシア~ソビエト連邦の影響下に置かれてきましたが、
今でもなおフィンランドとしてのアイデンティティーに揺るぎはなく、
国民の幸福度など、
多くの指標において常に世界のトップレベルに君臨しています。
国際関係における類まれなるバランス感覚のなせる業と言えるでしょうが、
他方、現在でも徴兵制度を維持し、陸海空の三軍を有する国家でもあります。
隣国スウエーデンもまた長らく中立を維持する国ですが、
2010 年までは徴兵制を採用しており、
自国のサーブ社製国産軍需品による強力な軍備が有名です。

そのフィンランドにおいて、現在、スウエーデンと共に、
今回のロシアのウクライナ侵攻を機に、
NATO 加盟に賛成する国民の割合が高まっています。

ソ連邦崩壊後のロシア国民を統合するものは、
もはや共産主義ではないはずです。
しかしながら、ロシアの行動は、
あるいは少なくともプーチン大統領の行動は、
共産主義時代と変わらないように思えます。
であるとするならば、
ロシアがロシアである限り、
その行動原理に変化は無いのでしょうか?
それともこれは、
ロシアを含めたユーラシア大陸の巨大ハートランド国家の宿命なのでしょうか?

分かりませぬ・・・。



今回は、武田龍夫氏の「戦う北欧」と、
植村英一氏の「グスタフ・マンネルヘイム」を参考としました。
特に、元北欧外交官の武田氏の著作に多くを負っています。

次回からは、いよいよウクライナとロシアの関係に迫りたいと思います。