今月の書評-137

さて、「今月の書評-131」で、
記紀における疑問点をいくつか羅列してみました。
1 番の「高天原は何処にある?」は簡単で、
少なくとも「葛飾区四つ木ではない!」
ことはほぼ完璧なまでに証明しましたが、
次の「なぜ出雲を大きく扱っているのか?」は難問です。

で、「出雲を大きく扱っている」ことと、
「北九州への言及が全くない」ことと、
「南九州に降臨した」ことと、
その後に「数年かけて東進した」ことと、
これらの四つの出来事は大きく関連していると個人的に思っていますので、
これからしばらく数度に分けてこの問題を妄想していきたいと思います。
ことによると、ヤマト政権の本質が明らかとなるかも知れませぬ。
妄想だけど。
まずは出雲から始めます。

日本書紀、神話のお話が終わるとすぐに「出雲の国譲り」のお話となります。
それも高天原から何人もミコトを送ったあげくに
クレクレタコラのように「国をクレクレ!」とねだるわけですが、
全員、出雲の主である大国主命(オオクニヌシノミコト)に寝返ってしまって
全く持って役に立ちませぬ・・・。

そもそも論としてですよ、
「おまえの国をくれ!」と言ってすなおに「OK!もってけ!」
なんて言う国家があるでしょうか?
そんなに簡単なものならば、
プーチンも 10 万にものぼる兵力を国境に集結させる必要もなく、
ウクライナの首相のもとにミコトノスキーを三人ばかりでも送って
しつこく「クレクレ!」言えば良いだけです。
しかも出雲の場合、みんなオオクニヌシノミコトにほだされて
骨抜きにされてしまいます。

さすが、日の本一の大神ですね!

で、最後には国譲りの約束を取り付けるわけですが、
その後に高千穂に降臨する、という段取りとなるわけです。

ここからは以下のことが妄想できます。

まずその前に、ヤマト政権を打ち立てた連中に名前を付けたいと思います。
ヤマト政権を打ち立てたわけですから
「ヤマト族」と名付けるのが一番簡単ですが、
「ヤマト」という名前は明らかに奈良盆地の地形に由来するものですので
降臨前の名称としては不適切な気がします。

ですので、天照大神(アマテラスオオミカミ)に因んで
天照族(てんしょうぞく)と呼びたいと思います。

今後、この名称が適切なものであることが明らかとなるかと・・・。

さて、そもそも論として、何ゆえに天照族は出雲に対して
「国をクレ!」と交渉したのでしょうか?

答え:列島を統一したかったから!です!

その他に答えはありませぬ!
また、それが目的であったから、
オオクニヌシノミコトも「OK!」と言ったのです!
要するに、大義があったのです!

「列島を統一する!」という大義名分なしに交渉する場合、
その動機にはどのようなものがあるでしょうか?
「出雲国を我がものとする」とか「属国とする」とか、
私欲に基づく動機こそが自然です。

しかしながら、その後の経緯を見ても、
天照族は出雲国を自分のものとはしませぬ。
逆に、大いに厚遇し、
常識はずれのどでかい大社(おおやしろ)をおっ建て、
オオクニヌシノミコトを日の本一の大神として祀り、
日本初の正史において、
大きくボリュームをさいてこれを載せるのです。

天照族は未だ混沌としていた列島を統一国家とすべく、
弥生時代のとある時点において、
半島東南部のとある場所から、
大きな志(こころざし)を抱き、
壮大なる計画に基づいて胎動し始めた、
と考えると、
その後の歴史の謎の多くが氷解します。