今月のウクライナ-101

さて、印欧系の連中が中央アジア~北インド~シベリアに至るまで
幅広く展開していた紀元前後ころ、
アルタイ山脈からバイカル湖周辺あたりにいた一群の連中が
歴史の舞台に登場するようになってきました。
匈奴(きょうど、フンヌ)です。

匈奴がトルコ系であるか否かに関しては以前のブログで議論しましたが、
議論というほどのものではありませんが、
ここではトルコ系で押し通します!

で、司馬遷の「史記」の中で匈奴は「匈奴列伝」として取り上げられるなど、
当時の「漢」にとって大変重要なケンカ相手だったわけですが、
ただの一言も匈奴=トルコ、とは述べられてません。

で、この当時、匈奴に従属していた部族のなかで、
丁令(ていれい)と呼ばれていた連中がおりました。
丁令は丁霊と書く場合もあり、また、
勅勒(ちょくろく)と書かれる場合もあり、
また、のちには鉄勒(てつろく)などとも書かれます。
どれも同じくトルコの事です。
さらには、例の突厥もまた「トルコ」の音を文字化したもの、
と考えられてます。

匈奴が広い意味のトルコ系であり、
かつトルコという言葉の初見である丁令は、当時、匈奴に従属していた、
ということから、
トルコという言葉はそもそも一部族を表す言葉であり、
その後はその名前を自称する連中が頭角を現し、
最終的には民族そのものを称する言葉となった、と考えられます。

で、5 ~ 6 世紀には
この地に高車(こうしゃ)という部族が強勢となりますが、
彼らもまたトルコであり、
その名の高車は彼らが用いていた馬車の形状を表す言葉で、
中国人によるトルコの音訳ではなく、
「トルコ」という言葉が持つ本来の意味を表す「意訳」である可能性が
指摘されてます。

それではそのそもそものトルコの意味ですが、ウイキによれば、
古代アルタイ語で「」を意味する Terek、Telek という言葉が
モンゴル語に取り入れられて Terege、Telegen となり、
これが中国人には丁令、丁霊と聞こえた、という流れとなります。

で、古代アルタイ語で車を意味する Terek ですが、
どこかで聞いたことのある単語ですよね!
そうです、英語の Trek です!

英語の Trek の意味は、「長く骨の折れる旅~移住」ということです。
Trail なども同系の言葉です。

で、以下は皆さまおなじみの、センセの妄想タイム!です。

「トルコ、モンゴル、ツングースは、
もともとは森林でトナカイの飼育や狩猟採集を行っていた連中であった。
当時、
西からはるばる馬車を駆って羊を追って来た欧州系の連中がこの地に至り、
真っ先にトルコの連中がこれに興味をもった。
で、車軸のついた不思議な乗り物を乗りこなす欧州人に対して
身振り手振りでこれは何だ?と聞いたところ、
欧州人は「This is a Trek!」的なことを言った。
トルコ人、なるほど、これはトレックか、俺たちも真似よう!
ということで、馬と車と羊の三点セットを採用した。
すると、これまで生活もままならぬ地であった南の草原地帯であったが、
ここが羊にとってはただ同然の餌場であることに気が付いた。
で、たちまちこれまでの森林生活を捨て、草原の遊牧民となった!
で、その中で、
「♪ おれたちゃトレック、勇者だぜ!」とか言い出す連中が現れて、
中国人がそれを聴いて「お前らは丁令だ!」とか書物に書き記したのだ!」

んんん、我ながら、ナカナカ鋭い妄想だ!

トルコ系の拡散-A.jpg
で、匈奴などはプライドが高かったもんだから、
そんな外国語由来の言葉で自分たちを呼ぶのに抵抗があったが、
如何せん、丁令やら鮮卑やら漢やらに痛めつけられ、
西走することとなった。
この時に行動を共にしたのか、
あるいはところてん式に押し出されてしまったのかは分かりませぬが、
ブルガール族、あるいは少し時代が下りますがハザール族などが
カスピ海から黒海にかけて移動して行った。
彼らは自らを「トルコ」とは呼んでいませんが、
トルコ系部族であるのは間違いなく、
しかもこの三者は言語学的には同族である、との説も有力です。

で、時代が下り、自称トルコ族から生まれ出た突厥により、
トルコの名前は大陸において一躍有名となっていきました!

ホントか?!